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いつかの春に君と
第4章 君が桜のとき
…身なりもとても良いし…春海の様子からしても豊かな幸せそうな生活をしているみたいだ…。

鬼塚は密かにほっとした。

「主人に先日のことを話しましたら、とても感謝しておりました。見ず知らずの子どもを助けて下さるなんて、ありがたい…と」
「いや、そんな…。大したことじゃない。
…その…あんたの旦那は大学の先生だそうだな」
…つい、小春の近況が知りたくて、尋ねてしまう。

「はい。帝大医学部で、精神医学を教えております。
…主人は精神科医ですの。京大で教えていたのですが、主人の恩師が帝大の副学長で、その方に呼ばれて移ってまいりました」
「…お医者さんなのか…。それは頼もしいな」
「ええ…」

…そして、やや憂いを秘めた表情で独り言のように呟いた。
「…主人は…今でも私のドクターですわ…。主人がいなかったら…私は…」

鬼塚は眉を顰めた。
鬼塚が口を開こうとした時、明るく爽やかな声が聞こえた。
「春海、随分頑張っているじゃないか。大したものだ」
小春が振り返り、その大きな瞳を見開いた。
「まあ、千紘さん!」

一人の背の高い男が和かに笑いながらこちらに歩いて来る。
三十代半ばくらいだろうか。
髪をきちんと撫で付け、細いフレームの眼鏡を掛けたその貌は端正で、しかも大層理知的な雰囲気が漂っていた。
仕立ての良い濃灰色のスーツに細いブルーのストライプのシャツを合わせ濃紺のネクタイをしたその足元には磨き上げられた高価そうな黒革の靴が輝いていた。
…小春の旦那だ。
鬼塚は一眼で察知した。

「どうなさったの?教授会があったのでしょう?」
「お一人が急病になられて、流れたよ。
笙子さんが一人で春海を連れてこられたか心配になってね。大丈夫?迷わなかった?」
…さん付けか…。
妻相手にとても丁寧な…そして何より愛情を込めた口の利き方をする人だと、鬼塚は感心した。

「ええ。今日は大丈夫でしたわ。
…貴方、こちらの方が先日、春海を助けて下さった方なのです。徹さん、主人です」
小春が嬉しげに鬼塚を夫に紹介した。

小春の夫は、ああ…と眼鏡の奥の眼を見張り、温かな笑みを浮かべ、握手を求めてきた。
「貴方が…!初めまして。岩倉千紘と申します。
その節はありがとうございました。春海は大切な時計を奪われそうになって怖かったと申しておりました。本当に、心から感謝申し上げます」



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