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いつかの春に君と
第4章 君が桜のとき
「徹さん、ありがとうございました!」
春海は自宅の門の前に着くと、鬼塚を見上げ元気に礼を言った。
鬼塚は春海の髪を撫でながら目を細めた。
「今日も頑張ったな。春海」

週二回の送迎もすっかり日常に溶け込みつつある。
春海はきちんとお辞儀をすると、出迎えた乳母に駆け寄り、そのまま家の中に入っていった。

そんな春海を視線で見送りながら、小春は説明する。
「…先日、捨てられていた柴犬の仔犬を拾ってきてあの子が世話をしているのですが、すっかり夢中で…。
片時も離れませんの」
小春の言葉に鬼塚は隻眼を見張る。
「春海は動物好きか…」
「ええ。金魚でも亀でも兎でもアヒルでもなんでも飼いたがっておうちに連れ帰ってしまいます。
おかげでうちは動物園みたいですわ」
「…それはすごいな」
二人は貌を見合わせて笑った。
…小春も動物好きだったな…。
心の中でそっと呟く。

鬼塚は改めて小春の家を振り返る。
空襲を免れたその家は、かつて英国人の貿易商が建てた煉瓦造りが堅固な洋館であった。
蔦の絡まる壁、洒落た屋根やバルコニーなど、まるで欧州の趣味の良い邸宅そのものであった。
門扉から見える美しい庭は、小春が丹精込めて育てているそうだ。
庭の奥には大きな桜の樹があり、まだその花は蕾がやや膨らみかけたばかりだが、咲き誇る花の美しさを想像出来るような見事な枝ぶりであった。

小春の夫、岩倉の実家は京都で繊維会社を経営する富裕な資産家であるそうで、かつてベルリン大学に留学もしていたと、小春から聞いた。

…良いひとと結ばれて良かった…。
鬼塚は心底そう思う。

「じゃあ、また次の稽古日に…」
そう言って踵を返そうとした鬼塚に小春が切り出した。
「徹さん。うちでお茶でも召し上がっていかれませんか?春海も喜びますわ」
鬼塚はあっさりと首を振る。
「いや、いい。使用人が俺の片目を見て驚くといけない」
黒革のアイパッチを付けた隻眼の男が小春と親しげにしていると近所に噂が流れてもいけないと、鬼塚はその誘いをいつも断っていたのだ。
「そんな!誰も気にしませんわ。それに、徹さんのお目は綺麗です」
小春が怒ったように答えた。

…お前の隻眼は美しい…。
男の声が蘇った。

鬼塚はふっと笑い…小春の白く艶やかな頬に一瞬だけ手を伸ばした。
「…また来週迎えに来る…」
そのまま小春の切なげな眼差しを振り切った。


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