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いつかの春に君と
第4章 君が桜のとき
「もうすぐ桜が咲きますね」
岩倉が笙子の華奢な肩越しに窓の向こうを眺める。
笙子がゆっくり振り向き、微かに微笑んだ。
「…ええ、あと少しで…」

岩倉が笙子とこうして部屋の中で二人きりで話せるようになるまで約1ヶ月を要した。
だが今も部屋のドアは開け放ってある。
笙子に不必要な重圧と恐怖心を与えない為だ。

最初は母親と一緒でないと、岩倉とは会えなかった。
少しずつ母親が離れて笙子を見守るようにして、やがて二人きりの空間に身を置けるようになった。

長時間だと笙子が疲労してしまうので、五分、十分、十五分と毎日少しずつ時間を伸ばしていった。

それにつれて、笙子はぽつぽつと雑談に応じてくれるようになった。
…まだ悩みや胸のうちを話してはいない。

岩倉のカウンセリングは、患者本人が話したいと思い、自ら話すまでは何もしない。

「こちらには見事な染井吉野がありますね。
…花盛りにはさぞ綺麗なことでしょう」
岩倉は視線を窓の外を向けるが、決して立ち上がって窓辺に近づいたりしない。

予想外の動きをして笙子を動揺させない為だ。
笙子が動き出すまで、岩倉は椅子に座ったままひたすら彼女の話を聞くのだ。

花の話が好きなのか、笙子は更に微笑みを深くした。
「ええ、それはもう…。桜色の霞がかかったように烟って…一日中見ていても見飽きないほどですわ」
そう語る笙子は桜色のワンピースにやや濃い桃色のサッシュベルトをふんわりと結んでいた。
美しい髪は艶やかに手入れされ、真珠の髪留めで、ハーフアップされていた。

いかに笙子が大切に…そして愛されているかが如実に伝わる美しい姿であった。

「…先生のご自宅は…京都でしたわね…?」
遠慮勝ちに尋ねる。

岩倉のことを質問してきたのは初めてだ。
笙子が他者に興味を持ち始めたのは良いことなので、岩倉は密かに安堵した。

「ええ。京都の嵐山の近くです。
…と言っても庭に狸や狐…鹿まで出てくる大変な田舎ですよ」
笙子は目を丸くした。
「狸や狐に鹿?すごいわ!…怖くないのですか?」
少女らしい無邪気な反応に岩倉は思わず笑みを漏らした。
「怖くありませんよ。慣れればおとなしいものです。
あんまり可愛くて仔狸を犬だと嘘をついて飼っていて母親に鬼のように叱られましたけどね」

笙子は弾けるように笑い出した。
無垢なその美しい笑顔に、岩倉は思わず見惚れた。
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