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いつかの春に君と
第4章 君が桜のとき
「…可笑しい…先生ったら…。そんな嘘、すぐにばれるでしょう?」
まだ笑い声を交えながら、笙子は岩倉を見上げた。
「仔狸と仔犬は似ているんですよ。
…でもいつまでたってもワンとも鳴かないし、母親に問い詰められて白状したら、一週間おやつ抜きの罰を与えられましたよ。
…小学生の僕には辛かったなあ…。同情した二つ年上の兄がこっそりとクッキーやチョコレートを分けてくれて…。
それ以来、兄には頭が上がりません」
わざと芝居掛かってため息を吐くと、笙子がまだ小さく笑った。

…そして、しみじみとした口調で尋ねた。
「…岩倉先生にはお兄様がいらっしゃるのですね…」
「ええ。優しい兄です。今は実家の家業を継いで毎日忙しくしています」

「…私にも…兄がおりました…」
ぽつりと、独り言のような清かな声が響いた。
岩倉は密かに表情を引き締めた。
「そうでしたか…」
初めて聞く話だと言うように装う。
「…洪水で両親と亡くなったのです…。
私はそのあと、こちらの…一ノ瀬の両親の養女になりました…」
…そう語ったあと、ふっと…まるで少しの衝撃で砕けてしまいそうな儚く脆い表情を見せた。

「…けれど…。あの…最近…もしかして…私の記憶はまやかしなのではないかと思うようになりました…」

岩倉は緊張を貌に出さないように冷静にゆっくりと尋ねた。
「…と、仰いますと…?」

笙子は膝の上にきちんと揃えた白い手をぎゅっと握りしめた。
その手は微かに震えていた。

そして、意を決したように岩倉を見上げ、小さな…しかしはっきりとした意思を持った声で告げた。
「…岩倉先生、先生に聞いていただきたいことがございます。
…ドアを閉めていただけますでしょうか。
先生にだけ、聞いていただきたいのです」

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