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いつかの春に君と
第1章 桜のもとにて君と別れ
道場に着くと、すぐにそこの主と思しき若い男が出て来た。
道場主は小春に親しげに挨拶をし、春海を迎え入れると道場の中に入って行った。
中からは子ども達の賑やかな声が響いていた。
鬼塚はさりげなくその場を離れた。
隻眼のいかにも怪しげな風体の男が一緒にいたのでは、小春と春海が色眼鏡で見られると思ったのだ。
道場を出た鬼塚を小春の声が追いかける。
「あの…!お待ち下さい!」
振り返る鬼塚に、小春が一途な眼差しで尋ねた。
「…お名前を伺ってもよろしいですか?」
一瞬たじろいだ鬼塚に、小春は告げた。
「私は岩倉笙子と申します」
…そう、小春はもう小春ではないのだ。
養父母により改名されたと、風の便りで聞いていたのだ。
…笙子か…。
いかにも名家の令嬢然とした良い名前だな…。
一抹の寂しさを感じながらも、小春の為に喜んだ。
「…よろしければお名前をお聞かせ願えないでしょうか?
主人に伝えて改めてお礼を申し上げたいのです」
「そんな…。大したことはしていない。気にしないでくれ」
行き過ぎようとし…鬼塚はほんの少しだけ、あるささやかな賭けに出てみた。
ゆっくり振り返り小春を見下ろす。
「…苗字は故あって明かせないが…下の名前は徹だ」
小春はやや思案顔で、首を傾げたのちにこう告げた。
「…徹様…。…あの…もしかして、以前にお会いしたことはありませんでしたか?なんだか…お懐かしい記憶があるのですが…」
途端に鬼塚は弾かれたように小春から後退った。
そして、小春の貌も見ずにいい捨てた。
「いや、会ったことなど一度もない。
あんたみたいな良いところの奥様と俺が知り合いなはずがない。…もう俺のことは忘れてくれ」
そう冷淡に告げると、その場を後にした。
小春が呼び止める声が聞こえたが、振り向かない。
仲見世通りに出、人波に身を投じながら自分の名前を告げたことを激しく後悔する。
…なぜ名乗ってしまったのだ。
小春がもし、思い出したらどうするつもりなんだ。
…小春が…あの悪夢のような呪わしい過去を…!
道場主は小春に親しげに挨拶をし、春海を迎え入れると道場の中に入って行った。
中からは子ども達の賑やかな声が響いていた。
鬼塚はさりげなくその場を離れた。
隻眼のいかにも怪しげな風体の男が一緒にいたのでは、小春と春海が色眼鏡で見られると思ったのだ。
道場を出た鬼塚を小春の声が追いかける。
「あの…!お待ち下さい!」
振り返る鬼塚に、小春が一途な眼差しで尋ねた。
「…お名前を伺ってもよろしいですか?」
一瞬たじろいだ鬼塚に、小春は告げた。
「私は岩倉笙子と申します」
…そう、小春はもう小春ではないのだ。
養父母により改名されたと、風の便りで聞いていたのだ。
…笙子か…。
いかにも名家の令嬢然とした良い名前だな…。
一抹の寂しさを感じながらも、小春の為に喜んだ。
「…よろしければお名前をお聞かせ願えないでしょうか?
主人に伝えて改めてお礼を申し上げたいのです」
「そんな…。大したことはしていない。気にしないでくれ」
行き過ぎようとし…鬼塚はほんの少しだけ、あるささやかな賭けに出てみた。
ゆっくり振り返り小春を見下ろす。
「…苗字は故あって明かせないが…下の名前は徹だ」
小春はやや思案顔で、首を傾げたのちにこう告げた。
「…徹様…。…あの…もしかして、以前にお会いしたことはありませんでしたか?なんだか…お懐かしい記憶があるのですが…」
途端に鬼塚は弾かれたように小春から後退った。
そして、小春の貌も見ずにいい捨てた。
「いや、会ったことなど一度もない。
あんたみたいな良いところの奥様と俺が知り合いなはずがない。…もう俺のことは忘れてくれ」
そう冷淡に告げると、その場を後にした。
小春が呼び止める声が聞こえたが、振り向かない。
仲見世通りに出、人波に身を投じながら自分の名前を告げたことを激しく後悔する。
…なぜ名乗ってしまったのだ。
小春がもし、思い出したらどうするつもりなんだ。
…小春が…あの悪夢のような呪わしい過去を…!