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いつかの春に君と
第4章 君が桜のとき
…だが…。
鬼塚は敢えて冷淡に手を引き抜いた。
「気休めはやめてくれ」
傷ついたであろう郁未の貌を見たくなくて、甘酒を一口飲む。
気まずい空気が流れる。

ややもして、郁未はそっと口を開いた。
「…戦争が終わって、日本が負けて…僕たちの生活はがらりと変わってしまった…」
思わず郁未を見上げると、彼は穏やかに微笑んでいた。
「知っていると思うけれど、GHQにより日本の華族制度は廃止され、僕は平民になった。
…飯倉の屋敷は没収されて、GHQの上級将校たちの宿舎と社交場になっているよ」
「…そうか…」
…日本が負けるとはそういうことなのだ…。

けれど郁未は存外に明るい笑顔で続けた。
「両親は疎開していた大磯の別荘にそのまま暮らしてる。
父は趣味の釣りが毎日出来るとご満悦だし、母は戦時中に家庭菜園を始めて、すっかり夢中になってしまって…今や農業のプロだよ。最近じゃ、養鶏も始めたんだ」
「…へえ…。あのお母様が…すごいな…」
鬼塚は思わず感心した。

少女のように無邪気で愛らしくて、郁未をひたすら溺愛していた母親だった。
士官学校を卒業するときも、郁未が危険な部隊に配属されないように陛下に直訴に行くと大騒ぎをし、父親や兄たちに慌てて止められたそうだ。

「うん。…この戦争で一番逞しくなったのは、お母様かもしれないな」
「そうか…」
二人は貌を見合わせて笑った。
…郁未と笑い合っていると、まるで士官学校時代に戻ったかのような錯覚に襲われる。

…そんなはずはないのに…。
あの時代…。
鬼塚の唯一の青春の時代に…。


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