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いつかの春に君と
第4章 君が桜のとき
「…そうか…無事なのか…」
男を喪くしたあと、唯一心に灯を点してくれたひとだった。
あのひとの煎れた珈琲の美味しさと手と言葉の温もりは未だに覚えている…。
「ああ。外国で息災にしているようだ。
最近ようやく外国郵便も出せるようになったからね。暁から手紙や写真が届きだして…暁の兄が狂喜乱舞しているよ。
そのうち、会いに行くだろうな…」
「…お貴族様てのは、制度が廃止されても無邪気でおめでたいものだな」
皮肉を口にしながらも、鬼塚の心は陽が射したかのように温かくなった。
…もう会うことはないだろうけれど、幸せで暮らしてくれているなら、それでいい…。
俺の唯一の聖域のひと…。
そのひとに思いを馳せていると、大紋が改まったように静かに口を開いた。
「鬼塚くん。私が君を訪ねたのは、他でもない。
…宮本幸子という名に覚えはあるかい?」
…宮本幸子…。
その名前に聞き覚えはない。
「…いや」
鬼塚は首を振る。
「…君を刺したアナーキストの妻だよ。
私は彼女の国選弁護人を引き受けたんだ」
大紋の言葉に鬼塚は絶句した。
「面会に行って、取り調べ調書を読んで驚いたよ。
君の名前が出てきて、生きていたと喜んだのも束の間
…まさか君が刺されたとはね…。
大事なくて本当に良かった…」
「…そうか…。あんた、弁護士だもんな…」
鬼塚は淡々と受け止める。
「…彼女が君を刺した訳はもう知っていると思う。
彼女はアナーキストの夫の死後、貧しい生活の中、二人の子供を懸命に育ててきた。
しかし戦後の混乱で生活は益々逼迫し、精神的に追い詰められてしまったようだ。
今の自分達の不幸な生活の元凶は君にあると、思い込んでしまったのだ」
「…間違ってはいない…。確かにそうだ…」
ぽつりと呟く。
「…そして彼女は君に恨みを抱き、君が生還していると聞きつけるや否や、君を血まなこで探し始めた。
君に復讐をするために…」
…無理もない。
夫を目の前で殺されたのだ。
恨みに思って当然だ。
「…彼女はどうしてる?」
…俺は、彼女の名前すら知らなかった…。
アナーキストの名前すら、忘れていた…。
「…毎日、取調室で泣いている。残してきた子どもたちに会いたいと…子どもたちに済まないと…」
鬼塚の胸がきりきりと痛んだ。
…俺は…また親のいない不幸な子どもを作ってしまったのか…?
男を喪くしたあと、唯一心に灯を点してくれたひとだった。
あのひとの煎れた珈琲の美味しさと手と言葉の温もりは未だに覚えている…。
「ああ。外国で息災にしているようだ。
最近ようやく外国郵便も出せるようになったからね。暁から手紙や写真が届きだして…暁の兄が狂喜乱舞しているよ。
そのうち、会いに行くだろうな…」
「…お貴族様てのは、制度が廃止されても無邪気でおめでたいものだな」
皮肉を口にしながらも、鬼塚の心は陽が射したかのように温かくなった。
…もう会うことはないだろうけれど、幸せで暮らしてくれているなら、それでいい…。
俺の唯一の聖域のひと…。
そのひとに思いを馳せていると、大紋が改まったように静かに口を開いた。
「鬼塚くん。私が君を訪ねたのは、他でもない。
…宮本幸子という名に覚えはあるかい?」
…宮本幸子…。
その名前に聞き覚えはない。
「…いや」
鬼塚は首を振る。
「…君を刺したアナーキストの妻だよ。
私は彼女の国選弁護人を引き受けたんだ」
大紋の言葉に鬼塚は絶句した。
「面会に行って、取り調べ調書を読んで驚いたよ。
君の名前が出てきて、生きていたと喜んだのも束の間
…まさか君が刺されたとはね…。
大事なくて本当に良かった…」
「…そうか…。あんた、弁護士だもんな…」
鬼塚は淡々と受け止める。
「…彼女が君を刺した訳はもう知っていると思う。
彼女はアナーキストの夫の死後、貧しい生活の中、二人の子供を懸命に育ててきた。
しかし戦後の混乱で生活は益々逼迫し、精神的に追い詰められてしまったようだ。
今の自分達の不幸な生活の元凶は君にあると、思い込んでしまったのだ」
「…間違ってはいない…。確かにそうだ…」
ぽつりと呟く。
「…そして彼女は君に恨みを抱き、君が生還していると聞きつけるや否や、君を血まなこで探し始めた。
君に復讐をするために…」
…無理もない。
夫を目の前で殺されたのだ。
恨みに思って当然だ。
「…彼女はどうしてる?」
…俺は、彼女の名前すら知らなかった…。
アナーキストの名前すら、忘れていた…。
「…毎日、取調室で泣いている。残してきた子どもたちに会いたいと…子どもたちに済まないと…」
鬼塚の胸がきりきりと痛んだ。
…俺は…また親のいない不幸な子どもを作ってしまったのか…?