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いつかの春に君と
第5章 いつかの春に君と
翌週の日曜日、鬼塚は本郷の小春の家を訪れていた。
岩倉家で花見の宴が催されるのだ。
この日の宴は郁未と鬼塚の学校が正式に認可され、いよいよ開校出来る運びとなった祝いも兼ねていた。

郁未も招かれたので、鬼塚と一緒に小春の家の門をくぐった。
郁未は春らしい明るい色のスーツを着て、村上開進堂の洋菓子の手土産を携えている。
育ちの良い郁未は万事抜かりないのだ。
対する鬼塚は、相変わらずの藍色の紬の着流し姿だ。
孤児院や学校では着崩してはいるがスーツを着用しているので、休日はその反動でつい、楽な格好をしてしまう。
小春や岩倉や春海…岩倉家の家政婦やメイドももう鬼塚のスタイルに慣れているので、気楽だった。
「鬼塚くんは何を着てもかっこいいよ…」
郁未が眩しげな眼差しで鬼塚を見上げる。

…郁未はまだ独身だ。
元公爵家の三男坊。実家の資産は潤沢だし、第一に郁未は容姿端麗で、頭脳も明晰だ。
性格も穏やかで優しいし、孤児院と学校経営にも情熱を注ぐ慈愛と向上心に溢れた青年だ。
だから降るように縁談はあるのに、結婚する意思は全くないらしい。

先日、孤児院を手伝いに来た郁未の母が鬼塚に愚痴をこぼした。
「良いお話はたくさんあるのですけど、郁未さんはてんで興味がないみたいなの。…親友の鬼塚さんから勧めてくださらないかしら?」

さりげなく水を向けると
「…僕は結婚しないよ。…好きなひととは結婚できないから…いいんだ…」
切なげな眼差しで見上げられ、何も言えなくなってしまった。

…そろそろ、郁未の家の離れから独立した方が良いのかもしれないな…。
そう思いながらも、なかなか腰を上げられずにいるのは、郁未のそばが居心地が良いからだろう。

…士官学校の卒業式の日…。
鬼塚は郁未に乞われてキスをした。
感謝と友愛のキスだ。
…郁未にとっては異なる意味のキスだったのだろう。

今も郁未から親友以上の熱の篭った眼差しを向けられる。
嫌ではないが、その気持ちに応えてやれない切なさがいつも残る。

…郁未は鬼塚の大切な親友だ。
しかし、恋愛感情はない。
郁未本人もそれは重々承知しているのだろう。
あの日以来、鬼塚に愛を告白することはなかった。

玄関までの長いプロムナードを歩きながら、郁未が尋ねた。
「…先週の…GHQのあのひと…。本当に鬼塚くんの恋人だったの…?」
黒眼勝ちの大きな瞳が見上げる。
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