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いつかの春に君と
第1章 桜のもとにて君と別れ
「ダ、ダンス?…た、大佐…無理です!」
慌てふためく鬼塚を愉快そうに笑う。
「ダンスくらいで動揺して軍人になれると思うのか?」
「軍人になるのに、ダンスなんていらないと思います!」
言い返す鬼塚の腰を力強い腕が、ぐっと抱き寄せる。
「馬鹿め。我々、憲兵隊はあらゆる場面に潜入する必要があるのだ。ダンスホールで潜入捜査する時にダンスが出来なかったら疑われるだろう?」
そう言われると黙る他はない。
男が言うことには絶対服従しなくてはならない。

男は驚くほどに、滑らかに鬼塚をリードした。
鬼塚はこの二年で背がだいぶ伸びた。
しかし、男に抱かれて向かい合うと、頭一つ以上も背の高さが違う。
男の堂々たる鋼のような体躯に圧倒される。
まるで女のように腰を抱かれ、手を握りしめられることに居心地の悪さも感じる。

…二人の間を漂う甘く艶かしい女の声が息苦しい。
「…この唄…。外国の唄なんてかけていいんですか?」
外国製品や外国の唄、小説などを市民が手にしたり楽しむことが規制されつつあったのだ。

「この歌手はドイツ人だ。同盟国だから問題ない」
…ハスキーな物憂げな声…。
甘いけれどどこか哀しげな声だ。
「…なんて歌っているんですか?」
思い切って尋ねると、男は鬼塚の手を握りしめたまま、遠くを見つめながら小さく口ずさみだした。
男が唄を唄うのを初めて聴いた。

…いつか、あの街角の灯りの下で会いましょう。
昔みたいに…。

眼を見張るほどに美しい声だった。

「…ありふれた恋の唄だ」
唇を歪めて笑う。
…ありふれた恋…。
大佐のあの写真のひとは…
ありふれた恋だったのだろうか…。
…命日と言っていた。
あの写真のひとの命日なのだろうか…。

…和葉…我、御身だけを愛す…。
大佐の愛しているひとは…
もう亡くなっているのだろうか…。
…この唄は…そのひとと聴いた唄なのではないだろうか…。




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