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いつかの春に君と
第1章 桜のもとにて君と別れ
玄関に入るなり、鬼塚は男に壁に押し付けられ、唇を奪われた。
昼日中に…しかも玄関で求められるのは初めてだった。
鬼塚は混乱した。
「…大佐…。おかしいです…こんなの…」
男は、夜の鬼塚しか求めなかった。
昼間の鬼塚に触れることはなかった。
それが暗黙の了解だったのだ。

「黙っていろ」
言葉はきついが、仕草は優しかった。
柔らかく、愛おしむように鬼塚を求める。
「…こんなの…だめです…」
鬼塚は懸命に抗う。
…こんなことをしていたら…俺は勘違いをしてしまう…。
俺と大佐の関係が…まるで…恋に似た何かなのではないかと…。
勘違いしてしまうからだ…。

嫌がる鬼塚を軽々と抱き上げ、男は階上に上がった。
そうして自分の寝室に鬼塚を引き入れた。
鬼塚は眼を見張った。
男の寝室に入ったのは初めてだからだ。

広いが寒々とした寝室には大きなベッドが置かれていた。
そのベッドにやや乱暴に降ろされる。
直ぐに男が鬼塚に覆い被さってきた。
「…嫌ならば抵抗しろ。今は私に服従しなくて良い」
いつもの聞き慣れた言葉だ。
なぜ、わざわざまた尋ねるのだろうと不審に思った時、男が鬼塚を熱く見つめながら告げた。
「…私は…お前を抱きたい。…お前の全てが欲しい」
鬼塚は息を呑んだ。
「大佐…」

鬼塚と男はまだ結ばれてはいなかった。
互いに性器に触れ、精を放ち合うことはしたが、男はそれ以上のことを鬼塚に求めはしなかったのだ。
「…どうしてですか?大佐は…俺を…」
…愛してくれているのかと喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
男は自分が大層傷ついたような表情をした。
「…分からない…。なぜなら、私はもう二度と人を愛さないと決めたからだ」
…和葉…我、御身だけを愛す…。
写真の美しい青年の姿が蘇る。
海軍士官の軍服の青年…。
もう亡くなっている…恐らくは男の恋人…。

「…私はもう誰かを愛することはしない。愛せない。決して愛したくはない。
だからお前を愛してはいない」
冷たい言葉。
一人きりの世界に突き放されたような孤独感が鬼塚を襲う。
「…だが、お前が可愛い。可愛くて仕方がない。お前が落馬した時は…身体中の血が凍りつくかと思った。
お前を失うかと思ったら…私は…!」
震える指が鬼塚の黒いアイパッチをなぞる。
…でも、愛してはいない…。
愛せない…。
男の心の声が鬼塚に届いてしまう。





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