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いつかの春に君と
第1章 桜のもとにて君と別れ
男が鬼塚を連れて来たのは、日比谷の帝国ホテルの最上階のレストランであった。
この軍靴の音が喧しくなった昨今、節約節制が叫ばれ、庶民の外食の店は次々と畳まれていた。
だが、一部の特権階級の為の高級ホテルやレストランは依然として繁盛していたのだ。
…初めての高級レストランに鬼塚は気後れしながら席に着いた。
元々外出は殆どしていなかったので、外で食事をすることなど初めてだったのだ。
如何にも富裕な夫婦や家族連れ、煌びやかな服装や宝飾品を身に付けた客たちに思わず眼を奪われる。
緊張している鬼塚の様子を可笑しそうに眺めながら、男はゆったりとワインリストを開く。
「堂々としていろ。軍人になったら任務でこの手の店に行くこともあるだろう。場数を踏むことが大切だ」
そう言う男は、やはりドイツ製の細身の黒のスーツ、鈍色のネクタイを締め、スイス製の高級時計を身につけている。
…とても憲兵隊の将校には見えない。
貴族の当主か…富裕な資産家に見える。
…俺たちは、はたからどう見えるのかな。
鬼塚はぼんやりと考えた。
…親子…かな。全然似てないけれど…。
年の離れた兄弟…かな。
近くを通った着飾った婦人が男に色めいた眼差しを投げかけたあと、鬼塚を見てやや驚いたような…同情めいた視線で見てきた。
…ああ、このアイパッチか…。
そっと指先で触れる。
余り外に出ないから、この黒いアイパッチが如何に目立つものかを忘れていた。
婦人の他にも幾人かが、鬼塚のアイパッチをちらちらと気にしているようだった。
やっぱり黒のアイパッチは目立つか…。
…俺はいいけど、大佐は気にならないのかな。
「気にするな」
心の内を読まれたかと思った。
「お前の隻眼は美しい」
ワインリストを閉じながら、小さく笑いかけてきた。
胸が甘く疼くような優しい笑みだった。
…そんなに優しくしないで欲しい…。
鬼塚は俯いた。
…誤解しそうになるのが辛い…。
男がウェイターにスマートにワインや料理を注文する様を見ながら思う。
…俺たちの間にあるものが…愛みたいなものだと…。
この軍靴の音が喧しくなった昨今、節約節制が叫ばれ、庶民の外食の店は次々と畳まれていた。
だが、一部の特権階級の為の高級ホテルやレストランは依然として繁盛していたのだ。
…初めての高級レストランに鬼塚は気後れしながら席に着いた。
元々外出は殆どしていなかったので、外で食事をすることなど初めてだったのだ。
如何にも富裕な夫婦や家族連れ、煌びやかな服装や宝飾品を身に付けた客たちに思わず眼を奪われる。
緊張している鬼塚の様子を可笑しそうに眺めながら、男はゆったりとワインリストを開く。
「堂々としていろ。軍人になったら任務でこの手の店に行くこともあるだろう。場数を踏むことが大切だ」
そう言う男は、やはりドイツ製の細身の黒のスーツ、鈍色のネクタイを締め、スイス製の高級時計を身につけている。
…とても憲兵隊の将校には見えない。
貴族の当主か…富裕な資産家に見える。
…俺たちは、はたからどう見えるのかな。
鬼塚はぼんやりと考えた。
…親子…かな。全然似てないけれど…。
年の離れた兄弟…かな。
近くを通った着飾った婦人が男に色めいた眼差しを投げかけたあと、鬼塚を見てやや驚いたような…同情めいた視線で見てきた。
…ああ、このアイパッチか…。
そっと指先で触れる。
余り外に出ないから、この黒いアイパッチが如何に目立つものかを忘れていた。
婦人の他にも幾人かが、鬼塚のアイパッチをちらちらと気にしているようだった。
やっぱり黒のアイパッチは目立つか…。
…俺はいいけど、大佐は気にならないのかな。
「気にするな」
心の内を読まれたかと思った。
「お前の隻眼は美しい」
ワインリストを閉じながら、小さく笑いかけてきた。
胸が甘く疼くような優しい笑みだった。
…そんなに優しくしないで欲しい…。
鬼塚は俯いた。
…誤解しそうになるのが辛い…。
男がウェイターにスマートにワインや料理を注文する様を見ながら思う。
…俺たちの間にあるものが…愛みたいなものだと…。