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いつかの春に君と
第2章 花の名残に君を想う
鬼塚は男を見上げた。
「…私はほんの気まぐれで救護院を訪れた。
強く逞しい…陛下の為、日本帝国の為に命も惜しまない憲兵隊員を一から育てろと上層部から命令が下ったからだ。
私も自分の命令に絶対服従する若く賢いドーベルマンが欲しかったのだ。
救護院でお前を見た時、何と強い隻眼だと驚いた。
それは、まだ幼いのに既にこの世の地獄を視た眼だったからだ。
…そして、人を殺したことに後悔はないときっぱり答えたお前に興味を持った。
この少年を飼いならすことができたのなら、どれだけ愉快だろうと私は思った。
…ほんの暇つぶしのつもりだった。
和葉を喪い…一片の夢も希望もない私の…唯一見つけた暇つぶしのつもりだったのだ」

「…酷いひとだ。貴方は…」
今更、自分に対して暇つぶしと告白してどうするつもりなのか…。
男の冷酷さを鬼塚は憎んだ。
貌を背け、墓地から去ろうとする鬼塚の肩を男の大きく頑丈な手が強く引き止めた。

振り向いた刹那、その両手は鬼塚の貌を捉え…意外な優しさで包み込んだ。

「…暇つぶしのつもりだったのだ。
けれど…お前を引き取ってから、私は少しずつ変わった。お前はどんなに辛い稽古にも厳しい教練にも、決して諦めずに食らい着いて来た。
時にはその隻眼で私を激しく睨んで…決して逃げずに黙って着いて来た。
…私は…お前の成長を肌で感じるのが楽しくなってきたのだ…。
…いや、お前を見ているのが楽しくて堪らなかった。
この黒く澄み切った隻眼、整った貌…。けれど人を寄せ付けない孤独な狼の子どものような表情…。
どんなに苦しくても辛くても涙を堪えるその強さ…。
そんなお前が可愛くて仕方がなかったのだ…」
「…大佐…」
男の分厚い手のひらが、壊れものを扱うかのようにそっと鬼塚の貌を撫で回す。
「…お前と私は良く似ていると、お前は言った。愛おしい妹を失ったお前と、和葉を喪った私と…。孤独な魂が重なり合っただけだと。
確かにそうだ。…けれどお前に惹かれたのはそれだけではない。
私は…お前を幸せにしたい。…お前を失いたくない…お前を見ていると、様々な欲望がせめぎ合い…私を不安にさせるのだ」
「…大佐…」

…その感情を、言葉に出して欲しいと鬼塚は思った。
けれど同時に、決して出さないだろうことも分かっていた。
…なぜなら…。

…大佐はまだ和葉さんを愛しているからだ…。
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