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女鑑~おんなかがみ~
第3章 初恋
この春に、長らく隠居しておられた大旦那様がお亡くなりになった。新しい大旦那様は、婿養子だが野心家だという噂が職人たちの間で飛び交っていた。職人の数が増え、工場が増え、女中も増えた。
今や若旦那様となった孝秀坊ちゃんは中学を卒業後は高等商業に進み、寄宿舎に入られるらしいとか、大地主の娘さんとの縁談が進みつつあるらしいとか、そんな噂も伝わってくるようになった。
操子お嬢様は高等女学校に入学してお茶やお花のお稽古に励んでおられるとのことで、スエと顔を合わせることはほとんどなかった。奥向きの女中をしている松さんが稽古の送り迎えをし、「おとなしそうに見えて勝気なかただ」と話しているのをきいたことがある。

あるとき、材木置き場の裏で今や若旦那様となった孝秀坊ちゃまが言った。
「スエさん、君はこれからもずっと、うちの店で働いてくれるのかい。それなら、将来、僕がこの店を継いだころには、女事務員をしてもらおうかな。
外国の会社には、女事務員がたくさん働いているんだよ。君も女事務員になればよい」
小学校も途中までしか出ていないスエに事務ができるはずがなかった。スエは驚いて返した。
「事務員って、私など読み書きもロクにできませんのに。それでも、ずっとこちらで下働きをさせていただきたいです。」
若旦那様のお顔を見れるから,と言いかけてやめた。
「でも、父は、早く私を遊郭に出したいようで、口入を通じていろいろ言ってきます。遊郭に行ったほうが親孝行ができますから。だからいつまでご厄介になれるのか分かりません」

若旦那さまは突然気色ばんだ。
「君、それはだめだ。遊郭などというものはあってはならないんだ。男と女は愛情で結ばれなければならない。女を金で買うとか売るとかいうのは、野蛮人のやることだ。絶対にダメだ」
興奮して話しながらスエの肩に手をかけ、
「もし、君がお父上にそのような卑しい、ふしだらな仕事につくように言われたのなら、僕に相談してくれ。両親の協力を得て何とか君を助けたいから」
と言った。

卑しい、ふしだらということばがスエの頭のなかでこだました。
スエの故郷の村では、器量がよければ遊郭に行って親孝行ができると羨んだり憧れたりすることはあっても、卑しいとかふしだらとか、言う者はいなかった。
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