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女鑑~おんなかがみ~
第10章 追懐
武士の家だった。
いや、すでに維新から三十年も経っているのであるから、正確には士族、というべきである。
だが、腐っても鯛という言葉が似あうような、武士の家であることだけを心の支えとするような父と祖父がいた。

武士の商法が笑い話として語られたのは、維新から五、六年のころであっただろうが、三十年を経ても、その調子で二束三文にしかならぬような掛け軸や壺を偉そうな態度で売ろうと試み、そればかりか、先見の明というものが一切ない行き当たりばったりの事業に手を出し続けていた。よって生活は苦しく、明日の米さえない日もあったが、それでも、伝来の刀だけは手放さず、輝虎は「仕官に備えて」と剣の稽古ばかりを厳しく課せられた。

輝虎が十歳ごろのある夜、姉の久子が、輝虎に茶を立ててくれた。
そして「お前は上の学校に進んで学問をしなさい。」といった。
久子は十二歳で、非常に学校の成績が良かったが、父は女に学問はいらないとの考えで小学校を四年まででやめさせられ、家で琴と茶の稽古をして過ごしていた。

小学校の上にもいろいろな学校があることは知っていたし、明治の半ばにもなると、士族の家ではどこでも、息子だけではなくて娘にも中学校や女学校などに進学させていたものであるが、若槻家には武士の誇りだけはあっても、明日の米もなく、直虎もそのようなことはあきらめ、父の言いなりに竹刀を振っているばかりだった。

「これからは、お上に仕官するためには学問が必要になります。
ここだけの話ですが、父上さまの言いなりに竹刀を振っていても仕官はできません。
お前は男なのだから帝大に行って高等官におなりなさい。」
久子はそう言った。

久子が輝虎のために茶を立ててくれたのはこのときが初めてだった。
茶を飲みながら、姉のことを美しい人だなあとぼんやり思った。

翌日、輝虎が学校から帰ると、姉はいなかった。
父は、京都へ養女に出した、と言った。
「久子は綺麗で賢い娘だから、女の出世をするに限る。見てみろ、伊藤公の細君も木戸公の細君も、みんなそうじゃないか。」

***********
このところ若槻は、倉持の娘が茶を立てるたびに、この日の記憶が甦るようになっていた。
帰りがけに、道で一人になると、姉上さま、と口にしていた。
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