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姦譎の華
第28章 28
28


 だが恋人は、こちらを見てはいなかった。

「定退日だろ、なんで帰ってないんだ?」
「すみません、少し調べたいことがありましたので。華村主任には許可をいただきました」
「それにしたって遅すぎるよ。そっち何時だ……藤枝さんだけかい、残ってるのは」
「はい」

 顔の前にスマホを掲げた愛紗実は、下半身では驕慢に脚を組んでいても、上躯は見事なまでに清楚な姿勢を保っていた。偽るのにも全く淀みがない。

「急に開催通知が来て驚いたよ。何かあった?」
「お待ちください、手帳を……」

 スマホが伏せられ、スクリーンの中のサブウィンドウも真っ暗になった。

 愛紗実は無言で多英を見つめ、人差し指を立てて口元へと当てた。もはや顔色からは悪心や狼狽は一掃されており、蒼くなっていた頬には朱みすら戻っている。

「……お待たせいたしました」
 再びスマホを取り上げた愛紗実は、「実は室長にお伝えしなければならないことがありまして」

(……!)

 親指が画面に添えられていた。いつでも背面カメラに切り替えることができる状態だ。であれば、ただちに男たちから離れるべきなのに、静粛を命じた奸悪の瞳が、多英に金縛りをかけていた。

「本日専務の訪問先にご一緒させていただいたのですが……」

 しかし愛紗実は、日中の随伴について話し始めた。手元に手帳などないのに、ときどき目を落とす演技を差し入れてスラスラと話している。今日、愛紗実が取引先商社の経営層を訪問したことは事実である。ただし急を要するような案件は、彼女からも、専務本人からも伝えられてはいなかった。

「……まあ、予想してたことじゃないのか?」
 一通り話を聞いた光瑠のコメントの通り、新情報が含まれてはいたものの、戦略を考え直さなければならないほどのインパクトはなかった。「ここに乗り出すかぎり中国とぶつかるのはやむを得ないよ。向こうも本腰を入れてきたってことだろ」
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