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姦譎の華
第30章 30
「動くな」
 掣肘された視界に、ミネラルウォーターのキャップがヌッと割り込んだ。「……咥えて運べ」

 愕然と見返したが、愛紗実の顔つきに酌量の余地は一切なかった。なかなか開かない唇を、苛立たしげに飲み口が抉じ開けてくる。

「グゥッ……!!」

 ネックリングに前歯を噛ませたとたんに底が離された。1リットル、つまり1キロだ。歯と顎関節だけではとても間に合わず、頬や首の筋肉にも猛烈な負荷がかかり、面伏せたままとても顔を上げることができない。

(アオッ……!)

 そのまま鎖を牽かれた。背けば何をされるかわかったものではなく、ペットボトルを落とすわけにも、後ろ手を切るわけにもいかないなかった。腰の後ろで握っていた指が三本から二本になり、袷を揺らして蹌踉と進むあいだに、フックの形にした人差し指どうしを引っ掛けているに過ぎなくなった。

「イラシャイ、マセー……」

 辛うじてカウンターまで辿り着くと、愛紗実に背を押されて前面に立たされる。咥えたペットボトルを置いていいものか、バーコードリーダーを片手に待っていたらいいものか、お互いに気まずい時間を過ごしていると、

「オアァッ……!」

 髪が後ろへと引っ張られ、底を振り上げるペットボトルが下顎へ凄まじい加重をかけた。歯茎の裏へ押し付けていた舌が外れ、涎が丸蓋の両側から側面を伝い落ちた。目の前に苦悶の表情を突き付けられ、どうしていいかわからなくなった店員は、迷った末に、顔のすぐ前でピッと電子音を鳴らした。

「あと、煙草もね」

 たまらない惨めさで一刻も早く立ち去りたいのに、短く笑った愛紗実は、先までよりもはるかに優しい声で店員に頼んだ。

「ハイ……ドレデショウカ」
「……おい」

 ピンと鎖の合図が送られる。
 揺らぐ視界の中で、煙草の並ぶ棚の脇に立った店員と目が合った。

 救けてください──

 ペットボトルをその場に落とし、一言訴えればいいはずだった。

 しかし多英の視線は店員を外れ、棚をなぞった。愛紗実がどの銘柄を吸っているのかわからない。たとえ知っていたとしても、口を封じられ、手も後ろに組んだままで、どうやって伝えればいいというのだろう。

「ア……」
「わからないの?」
「ウァ……」
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