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姦譎の華
第32章 32
 ひとつめ。
 母は、壊れなかったのではないか。

 正確には、壊しっぷりが足らなかったのではないか。着替えられたブラウス。持ち出されたバッグ。そのままの包丁。母は朝、いつもどおりの、少なくとも外見上は、ごく日常の姿で出かけることができるほどに、ギリギリ踏み止まったのだ。

 もっともっと話を盛って、完膚なきまでに叩き壊すべきだった……。

 そう悔やんでいると、橋を渡っていた。

 テレビで見たことのある川にしなだれる桜たちは、もちろんまだガリガリに痩せ細っていて、黒々とした水面に影だけを映していた。時計を見ると、女の子が一人で出歩くには心配されてしかるべき時間を迎えている。なのにオッサンはおろか、誰からも連絡はない。携帯を川へ投げ捨てたい思いを振り切り、小指の痛くなってしまった足を引きずって最寄りの駅を探すほかなかった。

 ドアを開けた瞬間、包丁を構えた母が立っているのかと夢想したが、帰った部屋は真っ暗だった。冷えていた体をシャワーで温め、冷凍していた御飯と漬物で夕食を済ませ、リビングのソファでテレビを見ていた。ニュース番組は、とある女が起こしたとんでもない事件を速報で伝えることなく、公園に咲いた木瓜の花がどうとかほざいている。冒険が冒険にならず、冒険しようとしたことすら誰にも知られていない少女にとっては、つくづくどうでもいいことばかりを伝えていた。

 ふと、壁にかけられている時計の針がまっすぐ重なっていることに気づいた。いつのまにか、少女ぶっていていい時間ではなくなっていた。

 テレビを消してみると、身の回りはとても安閑としていた。携帯は何を報せる光も発せず、テーブルの上に横柄に転がっている。

 おかしい、こんなはずではない──そういうことだった。

 一人で期待していた自分が俯瞰され、叫び出したい衝動を抑えてソファに寝転んだ。大きく脚を開き、左手は上衣に、右手は下衣の中へと突っ込む。人より大きく隆起した胸肌の蕾に爪が当たった。一応、硬くなっている。恥毛を撫でていた中指を裂け目の奥地まで進めてみると、昨晩シーツや布団が心配だったのが嘘のように、中指と畝の摩擦には微塵の水分も含まれてはいなかった。少し亀裂に押し込んでみるが、同じ。これ以上無理にこじ開けたら痛かろう。ダメもとで胸乳を掬い上げてみても、ダメだ。
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