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姦譎の華
第2章 2



 平日の夜だと、湾岸に建つホテルは人もまばらだった。

 硬い床が足裏に負担をかけてくる。だが、こういった待機時間には慣れている。何のためにジムに通っているかといえば、三十代も後半になって油断大敵な要所々々の引き締めもさることながら、今のような場面で、疲れを見せず最後まで耐え抜くだけの筋力を維持しておくためでもあった。

 不意に、甲高いはしゃぎ声がロビーに響いた。

 目を向けると、ねずみの耳を模したカチューシャをはめた幼さな女の子と、両親らしき外国人夫婦がやってくる。

 女の子がこちらへ向けて無邪気に手を振った。体の前で組んでいた手を崩して小さく振り返すと、喜ぶ娘に気づいた父親がキャップを取って頭を下げたから、口元に湛えた微笑はそのままに、仕事相手に為すものと変わらぬお辞儀を返した。

「あんな歳からここに泊まるなんて、教育に悪いんじゃないでしょうか」

 隣で一緒に頭を下げた愛紗実が、姿勢をもとに戻しながら忌々しげに呟く。

「そんなこと言っちゃだめよ」

 目線を正面へ向けたまま、柔和な表情を崩さずに窘めたが、本当は、先ほどから彼女の体がわずかに左右に揺れていることをこそ、注意をしたかった。間隔を置いて片足ずつに重心を移すことで、足の疲れをしのいでいるのだ。

「あっちの富裕層って、奥さんはともかくお父さん、なんであんな服のセンスなんでしょうね」
 こちらの焦心をよそに、愛紗実は親子の後ろ姿へ向けてなおも続けた。「自分の彼氏や旦那が旅行先でアレなら、意地でもやめさせるなぁ……」

 奥さんは小綺麗なアンサンブル姿、女の子も可愛らしいワンピース。しかし父親のほうはブルゾンを羽織り、チェックのシャツの裾をウォッシュドデニムの中へ入れ、更にはウエストポーチを巻いていた。
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