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自由という欠落
第1章 がらんどうな方程式
* * * * * * *
筆を置いた岸田の指は、芸術から解放された悦楽の海に、Yをとりこめた。あらゆる体液の混じった潮汐波が引くと、二人の女は枕を並べた。着衣した肢体は未だ微かな顫えをくるんで、熱が覆っていた。
「Yちゃんが先生を続けてくれていて、良かった。私にはYちゃんが必要だったから」
岸田の語調が引き締まったのは、今しがたYが懐かしい名前を思い起こしたからだ。岸田は禁忌にしているところがあるが、Yにしてみれば深い意味はない。三年前の夏が迫るこの季節、Yにとって印象深い生徒が一人、彼女のクラスを去ったというだけの話だ。彼女が生きていれば、今年は進路を決めていた。ぱっとする成績の生徒ではなかったが、もしYが内申書を書いてやれたとすれば、間違いなく色眼鏡を通していた。
岸田が懐こい声に合わせて、しとりを含んだ腕をYに絡めた。
扇情的な恋人の重みに微かな溜息を吐き出しながら、一方では、のぼせていたYの胸裏に次第に乾きが広がっていく。
生徒の自殺未遂は、創立以来、初めてだった。
暮橋は意識の戻った病室で、教師や親、あらゆる大人達の尋問を受けた。二年、三年と彼女の担任に就いていたYは、特に厳しい追及の対象だった。警察の聞き込み調査も粘り強かった。
いじめの事実は上がらなかった。生来明るい少女自身の口から、厭世に繋がる糸口も。
真相は謎のヴェールに包まれたまま、暮橋を含むごく穏やかな日常が戻った。彼女は三年生の課外活動も美化委員を志望して、親しい少女も従っていた。何事もなかった風な日々が流れた。Yがおりふし見かける懇ろな少女達の距離は、遠目に見かけるのも後ろめたくなるほど密度を極める一方だった。
春、岸田がYの学校に就任した。
画家を志していた彼女は生活のために職を選んだところがあって、周囲に馴染めない、否、馴染まない自身を気にも留めないで、彼女の世界を所有していた。それでいて職務はそつなくこなし、有名なコンテストで賞を欲しいままにしていた彼女はベテランの教師らも一目置いていた。