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僕の美しいひと
第1章 春の野良猫
郁未の住まいは元々、父の嵯峨公爵の別邸だった。
父が引退し大磯に引っ越したのを機に、末っ子の郁未に譲り渡されたのだ。

「お前は兄さんたちと違って商才が無さそうだからな。
いざとなったらこれを又貸しするなり、売り捌くなり自由にしなさい」
郁未は父が先妻を亡くしたのち、妻の遠縁の娘…郁未の母と再婚し、遅くにもうけた子どもだ。
そのために郁未にはかなり甘いところがあり、未だに何くれとなく目を掛けていた。

母は輪を掛けて過保護だ。
郁未がなかなか結婚しないことに業を煮やし、
「郁未さん、本当に良い方はいらっしゃらないの?
お母様の女学校時代のお友達のお嬢様でとても素敵な方がいらっしゃるの。お見合いしてみないこと?」
と頻繁に見合い話を携えて意気揚々と上京するのだ。

「お母様、僕はまだ学院を立ち上げたばかりで結婚どころではありませんから」
と断るのだが、決してめげない。

…僕はそんなに頼りないように見えるのかな…。
郁未はため息を吐く。

目の前で玄関ホールに飾られたガレの照明を突いている少女に眼を遣る。
…こんな女の子に舐められるくらいだもんな…。

壁に掛けられたレンブラントをぐるりと見回し、清良は肩を竦めて見せた。
「あんた、本当にお金持ちなんだね…。
こんな家、お伽話の中だけだと思ってたよ」
「裕福なのは僕じゃない。父親だ」
苦々しげに答える。

…そう。
公爵の家に生まれたのは単なる偶然だ。
士官学校に入学出来たのも、恐らくは父の名前が効いたのだろうし、卒業後、近衛師団に進めたのも、脆弱な郁未が陸軍や海軍に進むのを恐れた母が父に頼み込み根回ししたに違いない。
…父親の姉妹には宮家に嫁いだ叔母がいたのだ。

…僕は、いつも家名やお父様に守られ、生きてきたのだ…。
自分一人で成し遂げられたことは、まだひとつもない…。

この学院も、土地や建物は父親から受け継いだものだし、鬼塚を始めとする沢山の友人や知人の助けがなければ設立することはできなかっただろう。
それが今だに郁未の胸に苦い劣等感となり澱のように沈んでいるのだ。

…けれど…だからこそ、この学院は成功させなくてはならない。

不思議そうな貌をして郁未を見上げる少女に微笑む。
「さあ、食堂にいこう。お腹が空いただろう」

…この目の前の少女を正しい道に導き、誰が見ても驚くような完璧な淑女にするのだ。



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