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道化師は啼かない
第3章 死体越しの再会

 空気が粘ついている。

 この不快な感じをハルはよく知っていた。
 躰を鈍らせようと纏わりつく生温い風。
 その原因も。
 大衆の真ん中でイヤホンを耳につける。
 本当は感覚を一つでも殺すことはよくないが、雑音に穢されるくらいなら危険を冒してもいい。
 足音。
 服の擦れる音。
 人の喋る唇の開く音。
 舌が立てる水音。
 髪を掻く音。
 電車の騒音。
 ぐっと人差し指で耳の奥に差し込む。
 鼓膜に直接響くように。
 この煩い世界から解放するように。
 眼を閉じる。
 コツコツ。
 歩み寄る振動。
 肩にぶつかり消えていく通行人。
 その中で、自分を目指してくる気配。
 ああ、彼だ。
 ハルは眼鏡をくいと上げる。
 瞬間、イヤホンが機能を失った。
 低く、澄んだ声に襲われるように。
「アリスは北口に向かって歩いてる。今すぐ追え」
 そう呟いた唇は首筋にキスをして背中の方に去っていく。
 コツコツ。
 キタイシテルゾ、って。
 雑音じゃない足音。
 ゆっくりと瞼を持ち上げる。
「わかりましたよ」
 ハルは振り返らずに北口に足を向かわせた。

 改修中の白い壁を指でなぞる。
 足は止めない。
 つーっと埃を掻き分けるように。
 突然壁が終わって指が落ちる。
 十字路をそのまま渡る。
 左右はレストランとショッピング街。
 目の前は出口、北口。
 視界にいるのは一人の女子高生と二人のサラリーマン。
 確か、この近くに住宅から離れた公園と、公衆便所があった。
 スーツの二重袖のボタンを片手で外し、仕込んだナイフの感触を確かめる。
 外に通じる階段を上り、ハルは彼女の後ろに付いた。
 無防備な背中。
 派手な鞄に折り曲げたスカート。
 細い脚を晒して、自分だけは安全だと信じ切って。
 愚かな屑。
 ハルの眼が紫の煙を反射して妖しく影を帯びる。
 さて、行きましょうか。
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