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道化師は啼かない
第6章 不協和音
カランカラン。
「いらっしゃ……い」
胡桃は誰もいない扉を見つめる。
揺れる陰と。
風のイタズラ。
いや、これは幻聴。
グラスを磨く手を再開する。
だって……
だって、普通の客はあんな音を立てないもの。
飛び込んでくる。
あの元気な笑顔が。
「会いたいなんて……いつものことじゃない、ばかね。ね? 蕗」
たった二文字。
その名を口にするだけで目頭が熱を持つ。
変わらない。
初めて会ったあの日から。
八歳のあなたが、今も私を見つめる。
血塗れの無邪気な笑みで。
「私は……まだ救える気がしてるのよ」
ばかな女。
そう笑われるわ。
あのフードの忌々しい男に。
いいと思いますよ、胡桃さんらしくて。
ハルはこう言うわね。
カタン。
棚にグラスを置いて自嘲する。
厭だわ。
この時間。
過去ばかり思い出す。
誰もいない店内に見渡す。
そうね。
そりゃそうよね。
この空間こそが私の罪の証だもの。
思い出さない時なんて一瞬も……
いえ。
だからこそ蕗と一緒にいるときが尊かったのかもしれない。
あのときだけは忘れられたから。
あなただけを想って。
守りたいって。
救いたいって。
そばにいたいって。
一心に。
家族が死んだ、あの夜でさえ。