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実業家お嬢様と鈍感従者
第13章 タイムリミット
熟れたトマトのように真っ赤であろうアンジェラの頬に、手袋に包まれたヘンリーの大きな掌がそっと添えられた。
「辞表を出してきました」
彼の口から発せられた言葉に、アンジェラは目を見開いた。
何を言われたのか咄嗟には理解出来ず、彼を見つめ返すことしか出来ない。
(辞表――?)
ようやくその言葉のもつ意味を頭で理解する。
頭の中から先程までの欲望に駆られた思いが全て抜け落ち、代わりに鈍器で殴られたような衝撃が走った。
(この人は、伯爵となる私が主として彼を守ることさえ、許してくれないの!)
その思いを頭の中から追い払いたくて、アンジェラはふるふると首をふった。
「わ、私……、一生、領地に戻らないわ。本当よ、約束する。誓約書だって書いたっていいわ。貴方は……、私の顔を見るのが嫌なのでしょう? だったら辞める必要はこれで無くなったわ。だから――」
もはや座っていることさえままならなくなり、アンジェラはテラスの床石に両手を付いて身体を支えた。
下を向いた目から涙が零れそうになる。
絶対に泣かないと唇を噛んで耐えた。
これ以上重い女だと思われたくないと思った。
(これは罰、なのだろうか……。彼が幸せであればそれでいいと言った口で『愛人』になってくれと請おうとした、偽善者の私に対する……)
「何を馬鹿なことを言っているのですか!」
突然、頭上から厳しい声で叱責され、頭がぐちゃぐちゃになっていたアンジェラは、逆切れして、顔を上げて叫んでいた。
「――っ!? 馬鹿って何よっ! ヘンリーだって馬鹿よ! 私の事なんて綺麗さっぱり忘れて領地で働けばいいじゃない! それを、今まで積み上げてきたキャリアをわざわざ捨てるなんて……私、貴方の紹介状なんて、絶対書かせないんだからっ!」
思いのたけを全てぶちまけて、目の前の彼をこれでもかと睨んだ。
前雇用先の紹介状が無ければ、いくら有能な者でも次の雇用先を探すのは容易ではない。
アンジェラは心の中で「ふん、ざまあみろ、分からず屋!」と口汚く彼をなじった。
すると何が可笑しいのか、ヘンリーはアンジェラの目の前で腹を抱えて笑い転げた。
あははと声を出して笑う彼を大人になって初めて見た彼女は、その様子を呆然と見つづけた。
しかし、急に「痛っ」と彼が顔をしかめて頬を押さえる。
「え? 何? どうしたの?」