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実業家お嬢様と鈍感従者
第8章 意中彼落作戦・五 汝、押して駄目なら引いてみろ!
「アメの時は、あんなに楽しそうにやっていたのにね」
スージーは家庭教師から出された刺繍の課題を黙々とこなしながら、姉の愚痴に相槌を返してくる。
「いざムチをやってみると、ヘンリーがどれだけ私の事をなんとも思ってないかが、身に染みてねえ……」
言霊のように、自分が発した言葉が余計心に染みてしまう。
「反応薄いの? 急に引かれて、戸惑っている感じはしない?」
難しい縫い目なのかスージーは真剣な顔で刺繍の枠を睨み付けながらも、神妙な返事を返してくれる。
「全く。全然変わらない……と言うより、むしろ安心している様に見えるわ、私がやっと諦めてくれたって、ほっとしてる……」
ヘンリーの態度は彼女が告白する前の状態に戻っただけだった。
こっちは視線の隅に彼の立ち姿が入るだけでも、胸が高鳴るというのにだ。
「ふむ……」
ようやく手を止めて顔を上げた妹は、そう唸ると考え込んだ。
弱気になっていたアンジェラは許しを請うように彼女の顔を覗き込む。
「……もうムチ、やめていい?」
しかし、妹は首を振って駄目だと言う。
「お姉様、もう少しだけ我慢して。明日の午後に、お母様主催の昼食会があるでしょう? 私にちょっと考えがあるの――」
「ヘンリーじゃないか! 久しぶり、卒業以来だな」
奥様がホストの本日の昼食会は、その招待客の大半が上流階級のはずだった。
その真最中の今、使用人の自分に対してそんな砕けた挨拶をする相手に心当たりをつけ、ヘンリーは声の主を振り向いた。
「マシュー卿、ご無沙汰いたしております」
彼は今しがた到着したらしく、従僕にシルクハットと黒檀のステッキを預けていた。
「水臭いなあ、マットでいいよ」
パブリックスクールの同級生だったマットは周りの目など気にせず、三年ぶりに会うヘンリーに以前のように屈託無く笑う。
つられてヘンリーの表情も緩んだ。
「オクスフォードをご卒業されたとお聞きしました。おめでとうございます」
「めでたくなんてないさ。あんな大学(とこ)、エリート教育ばっかりで、俺みたいな次男には時間の無駄遣いさ」
昔と変わらず達観したところのある友人に、ヘンリーは苦笑した。