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実業家お嬢様と鈍感従者
第8章 意中彼落作戦・五 汝、押して駄目なら引いてみろ!

「ああ、リラの花が丁度見頃ね――」

公園の近くを通った時、アンジェラが車窓の外を見てそう呟いた。

つられてヘンリーも外に視線をやると、確かにリラの木が薄ピンクや薄紫色の小さな花を沢山付けていた。

「本当ですね」

「そうか、もうすぐ六月だものね……早いなあ」

彼女はそう言って暫く遠くを見るような目をしていたが、ふいにくすりと顔をほころばせる。

「ねえヘンリー、覚えている? 『幸福のリラの花』のこと」

「ええ、覚えております」

それは英国に古くから言い伝えられる伝承のようなものだ。

「四枚の花弁の花の中から五枚のものを見つけられると、幸せになれるのよね」

「小さな頃の貴女は、『幸福の花』をそれはそれは欲しがられて……」

昔を思い出して目を細めて苦笑したヘンリーに、彼女は視線を移す。

「ヘンリーにも手伝ってもらって探したけれど、結局見つからなかったのよね」

「ええ、貴女は言い出したら見つかるまで、諦められない人でしたからね」

「見つからないとね、いつも貴方はこう言ったわ……『貴女は既に幸せだから幸福の花は見つからない』って」

子供の頃とはいえ、よくそんな歯の浮くようなことを言ったなと、ヘンリーは恥ずかしくなってとぼけた。

「言いましたか?」

「言ったわ。今から考えると凄い殺し文句ね」

「そう、からかわないでください」

肩を竦めて見せたヘンリーを、アンジェラはくすくすと笑って見つめる。

「私……今だったら見つけられるかしら『幸福の花』――」

馬車のスライド式の窓を、彼女が手袋に包まれた細い指で少しだけ開く。

途端にリラの花の柔らかな香りが車の中に漂い始める。

小花を付けた房が風に揺られ、近くに来た人々に、何故か切なさを呼び起こさせるその甘美な香りを振りまく。

その香りを深く深呼吸して吸い込んだ彼女はヘンリーに返答を促すように、その蒼い瞳を彼にひたと合わせてきた。

――若者の無邪気さ、初恋。

そんなリラの花言葉を思い出す。今の彼女にぴったりの花。

そして、今だけに相応しい花でもある。

彼女は大人になったとき、この花を見てきっと昔の拙い初恋を思い出し、苦笑するのだろう。

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