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実業家お嬢様と鈍感従者
第9章 求婚
「後五時間は掛ります。まだ寝てらしても大丈夫ですよ」
胸から綺麗に磨かれた懐中時計を取り出した彼がそう囁く。
メイドを起こさないように小さく囁く彼の擦れた声や、先程のシーのしぐさがとても色っぽくて、何か秘密めいた、いけない事を共有しているような気になり、アンジェラの胸はとくとくと高鳴り始めた。
こんな状態で寝るなど到底無理だと思ったが、しかし彼にくっつけるチャンスだと思い直し、アンジェラは座りなおして頭をコトリとヘンリーの腕に凭れ掛けた。
甘えるようなその仕草に、彼から「お嬢様」と窘めるすこし硬い声が振ってくる。
「寝るから肩貸してもらうだけだもの」
アンジェラはそう言い訳すると、右腕をヘンリーの腕に絡ませて目を閉じた。
彼もそれ以上何も言わず、馬車の中に再び静寂が訪れる。
「この前は……ごめんなさい」
ずっと言わなければと思っていたことを、アンジェラは小さな声で口にする。
「……何のことでしょう」
彼は彼女の告解が何を指すのか分からなかったらしく、聞き返してきた。
「……この前、仕事で行き詰って……貴方に八つ当たりしたわ――」
半月程前、いきなり銀行からの融資を打ち切られた時、アンジェラは混乱して気遣ってくれたヘンリーを「放って置け」と突き放した。
そして散々取り乱した上に彼に泣き縋ってしまった。
告白して以降、彼には格好の悪いところを何度も見せている。
それでも仕事上では、しっかりと経営者然としてこられていた。そこだけは彼に――尊敬されたいとまでは言わないが――認められたいと思って必死で守っていた矜持を、アンジェラはあの時手放してしまった。
きっと彼の中で自分は『駄目駄目主 兼 駄目駄目経営者』として認識されてしまっただろう。
目を開けて小さく付いてしまったため息に、彼は微かにくすりと笑った。
「そんなことを気にされていたのですか」
「そんなことって……」
顔を上げて唇を尖らせて見せたアンジェラに、ヘンリーが目を細める。
「すみません。しかし、私はあの時すこし嬉しかったのですよ?」
「……え?」
「お嬢様はいつも、辛いことを一人で抱え込むクセがおありです。ああいう形でも私に苦しんでいることを表してくだされば、私は貴女を助ける手がかりを得られます」
「………」