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夜明けまでのセレナーデ
第9章 サンドリヨンとワルツを
衣都子の返答を聞いて、薫は息を飲んだ。

「…すみません…。
私、本当はこんなにご立派なお屋敷にお世話になれるような育ちをしてはいないのです…」
肩身が狭そうに俯く衣都子に胸が痛む。
すぐに自分の無神経な発言に後悔した。
…皆んなが皆んな、同じではないのだ。
生まれてからずっと、周りは薫と同じような恵まれた育ち方をしてきた友人や知人ばかりだった。
だから、宮様なら同じような物を享受して生きてきたと思い込んでしまったのだ。

「こちらこそ、失礼いたしました。
衣都子様が複雑なご事情でお寺で育たれたことにも配慮せず…」
頭を下げる薫に衣都子が首を振った。
「いいえ。縣様は悪くありません。
…厄介な私を預かってくださるだけでありがたいですのに…」
「縣様はやめて下さい。宮様に様呼びされると困ります。
薫と呼んでください」
にっこり笑う薫に引き込まれるように、衣都子も微かに笑みを浮かべた。
そうして、遠慮勝ちに切り出した。
「…では、私のことは絹と呼んでください」
「…きぬ?いつこ…はなく?」
怪訝そうな貌をする薫に、衣都子は頷く。
「はい。私の本当の名前は絹です。
…陛下…お父様が、最近私に付けてくださった名前が衣都子です。
…でも…親しい人には絹と呼んでもらっています。
私、新しい名前には慣れないのです。
呼ばれてもなんだか自分でないような気がして…。
ですから、できましたら絹と呼んでいただきたいのです」
黒くしっとりと濡れたような瞳が、薫を一途に見つめる。

…こんな…飾り気のない真っ直ぐな宮様もいるんだな…。
薫の胸に新鮮な驚きが満ち溢れる。

「…分かりました。
それでは、絹さんとお呼びいたします。
絹さんも僕を薫と呼んでください」
「…はい」

衣都子…いや、絹は初めて、屈託無く晴れやかに微笑んだのだった。

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