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夜明けまでのセレナーデ
第9章 サンドリヨンとワルツを
絢子の主治医が訪れたのを潮に家政婦に絢子を任せ、薫と大紋は大紋の居間に移った。
ドアに鍵を掛けるなり、薫は大紋に詰め寄った。
「いつからですか⁈
絢子小母さまはいつからあんな風に…」
…精神を病んで…という言葉をぐっと飲み込む。
そんな言葉を、大紋に投げかけることなど出来なかった。
「…終戦を迎えた頃から徐々に…かな。
日によって程度は違うがね…。
…行きつ戻りつしながら、不安定な均衡の上を彷徨っている感じだ」
淡々と語る大紋の端正な横貌には、穏やかだが底知れぬ哀しみの色が濃く漂っていた。
「…敗戦の色が濃くなり、暁人からの手紙が途絶え始めてから絢子は精神が不安定になった。
一日中泣いたり…時には人が変わったかのように私に食ってかかるようになった。
…私が暁人が軍人になるのを止めなかったから…軍人になるのを許可したから、こんなことになったのだと…。
私のせいだと…憤り、泣き喚いた…」
薫は耳を疑った。
いつもおとなしやかで優しく、夫の言うことに逆らうことなど考えもしないような従順な妻…。
絵に描いたような良妻賢母の絢子が、そのような言動をするなど、あり得ないことだったからだ。
「…絢子はひたすら暁人の手紙を待ち続けた。
毎日毎日窓の外を見つめながら、郵便配達員が来ると走り出し…暁人の手紙がないと分かると、泣き続けた」
…それで…
大紋の貌が湧き上がる痛みに耐えかねたかのように、苦しげに歪んだ。
「日に日に窶れる絢子を見るに見かねて、私は暁人の筆跡を真似て暁人に成り代わり手紙を書いたのだ」
「…小父様…」
薫は息を飲む。
…美しい詩を暗唱するかのように、大紋が語り始めた。
「…お母様、
僕は元気です。
今、日本へ帰還する船に乗り込みました。
もう間もなく日本に帰国できます。
どうぞ、ご心配なさらないでください。
お母様はどうぞ御身をお大事になさってください。
僕は必ず、お母様のもとに帰ります…。
…そう手紙を書いて出したのだよ…」
ドアに鍵を掛けるなり、薫は大紋に詰め寄った。
「いつからですか⁈
絢子小母さまはいつからあんな風に…」
…精神を病んで…という言葉をぐっと飲み込む。
そんな言葉を、大紋に投げかけることなど出来なかった。
「…終戦を迎えた頃から徐々に…かな。
日によって程度は違うがね…。
…行きつ戻りつしながら、不安定な均衡の上を彷徨っている感じだ」
淡々と語る大紋の端正な横貌には、穏やかだが底知れぬ哀しみの色が濃く漂っていた。
「…敗戦の色が濃くなり、暁人からの手紙が途絶え始めてから絢子は精神が不安定になった。
一日中泣いたり…時には人が変わったかのように私に食ってかかるようになった。
…私が暁人が軍人になるのを止めなかったから…軍人になるのを許可したから、こんなことになったのだと…。
私のせいだと…憤り、泣き喚いた…」
薫は耳を疑った。
いつもおとなしやかで優しく、夫の言うことに逆らうことなど考えもしないような従順な妻…。
絵に描いたような良妻賢母の絢子が、そのような言動をするなど、あり得ないことだったからだ。
「…絢子はひたすら暁人の手紙を待ち続けた。
毎日毎日窓の外を見つめながら、郵便配達員が来ると走り出し…暁人の手紙がないと分かると、泣き続けた」
…それで…
大紋の貌が湧き上がる痛みに耐えかねたかのように、苦しげに歪んだ。
「日に日に窶れる絢子を見るに見かねて、私は暁人の筆跡を真似て暁人に成り代わり手紙を書いたのだ」
「…小父様…」
薫は息を飲む。
…美しい詩を暗唱するかのように、大紋が語り始めた。
「…お母様、
僕は元気です。
今、日本へ帰還する船に乗り込みました。
もう間もなく日本に帰国できます。
どうぞ、ご心配なさらないでください。
お母様はどうぞ御身をお大事になさってください。
僕は必ず、お母様のもとに帰ります…。
…そう手紙を書いて出したのだよ…」