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夜明けまでのセレナーデ
第9章 サンドリヨンとワルツを
絹はそれまで、薫のように貴族の…しかも眼が覚めるように美しくきらきらと眩い青年を見たことがなかった。
…まず驚いたのは、青年がすらりとした身体に纏っている仕立ての良いスーツやシャツ、靴だった。
敗戦国の日本では、おいそれと手に入らない高級な代物だ。
小さな貌は美麗に整っていて…少し気位が高そうで、昔絵本で見た西洋の王子のようであった。

…こんなひとが…本当にいるんだ…。

絹のこれまでの人生は、おおよそ上流階級の人々とは縁のかけらもなかったのだ。
周りは下町の市井の人間ばかりで、自分の出自を知らされたのは、大人になってからだった。

幼い頃から預けられていた寺は、浅草の外れ…ひっそりとした裏町にあった。
初老の住職夫婦は、絹を大切には扱ってくれたが、どこか常によそよそしく、腫れ物に扱うように世話をされたように思う。
衣食住は不足なく与えられていたが、親しい語らいもなく…肉親の温かさのようなものを感じる場面は皆無であった。
それは、幼馴染の成田龍介の家の雰囲気とは全く異なるものであった。
学校の同級生だった龍介の家は、家業が鰻屋だったせいか常に賑やかで、和気藹々としていた。
…気風の良い父親、明るく優しい母親、人懐っこい兄弟たち…。
初めて龍介の家に遊びに行った時には、驚きで声が出なかった。

だからその日、絹は寺に帰って冷静に悟った。
…このひとたちは、他人なんだな…。
幼心に絹はひとり納得した。
そして、自分の出自に何か複雑な理由があることも…微かに予想してはいたのだ。

絹の亡くなった母の記憶は朧げであった。
父の記憶ももちろんない。
だから、この住職夫婦の養女に貰われてきたのだろうと、絹は推察していた。
住職夫婦は、絹に何も語りはしなかった。
だから絹も何も尋ねなかった。
…小さく侘しい寺に、衣食住の心配をすることなく置いて貰え、育てて貰えることに感謝しようと、自分から進んで家事や寺の手伝いをした。

…大人になれば、もしかしたら自分の出生について誰かが教えてくれるかもしれない…。
絹は密かに希望を持つようになった。

…そうして、その衝撃的な事件は絹が十九歳の誕生日を迎えたばかりの矢先に起ったのだ…。





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