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夜明けまでのセレナーデ
第1章 屋根裏部屋の約束
「薫様?ご気分がお悪いですか?」
泉の声で我に帰る。
薄暗い防空壕の中、気遣わしげに泉が貌を覗き込んでいた。
…まだ警報は解除されない。
低く響くサイレンの音が、地下にいても鈍く聞こえる。

「ううん。
…あの…。ごめんね、泉…。僕のせいでさ…」
謝る薫を泉は不思議そうな貌をして見せた。
「…僕がここに残るなんて言わなかったら、今頃泉は軽井沢の別荘にいたのにさ…。
…司さんと…」
…最後の言葉は、小さく囁いた。
梅琳に聞こえないように…だが、もし聞こえたとしても賢い彼女のことだ。聞こえぬふりをするだろうが…。
…案の定、梅琳は部屋の隅でカイザーの背中を優しく撫でながら寝かしつけようとしていた。

「…薫様…」
ランプの薄明かりの中、泉がそっと微笑んだ。
「何を仰るのですか。
私は薫様をお守りするために今までずっと仕えていたのですよ。
これからもそれは変わりません。
もし旦那様に命じられなくても、私は薫様のお側に留まりました。
…私にとって薫様はもっとも大切な方なのですから…」
「…泉…」
…端正で凛々しい眼差しが薫を優しく見つめていた。
胸の奥が微かに甘く疼く。
…かつて…まだ薫が少年だった頃…一度だけ交わした初めての口づけが夢のように蘇った。

…仕方ないよな…泉は僕の初恋のひとだ…。

ふっと笑い返し、昔のように泉の逞しい肩に甘えて頭を預ける。
「…ありがとう、泉…」
泉は黙って薫のほっそりとした肩を引き寄せてくれた。
温かな大きな手が、空襲の不安を少しずつ溶かしてゆく…。

「…でも…司さんは納得してくれたの?
泉と離れることを…」
まだ聞いていなかった気掛かりを尋ねた。
小さく苦笑する気配が伝わってきた。
「…ええ。…まあ、なんとか…」
…これはなかなか大変だったんだな…と、薫は察した。

「でも、これで良かったのです。
司様は軽井沢におられた方が安全です。
あの方は風間様よりお預かりした縣家の大切な客人です。
万が一のことがあってはなりません」
きっぱりと答える泉から、他の感情は読み取れなかった。

…でも…
本当は泉だって寂しいはずだ…。
薫は泉の手をそっと握りしめた。
「早く戦争が終わるといいな」
その手が力強く握り返される。
「はい」
二人の気持ちは、語らずとも分かっているのだ。

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