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異邦人の庭 〜secret garden〜
第6章 ペニー・レーンの片想い 〜Lady Yの告白〜
…恋に堕ちるのはあっけないものだと、徳子は三十二年の人生で初めて悟った。
まるでルイス・キャロルの不思議な国のアリスのように…深い深い落とし穴に、有無を言わさずつき落とされた気持ちだ。
…しかもその落とし穴には温かくまとわりつくような水を湛えた甘美な沼があり、その沼に若く美しい青年に強引に…けれど情熱的に引き摺り込まれたのだ。



「…徳子さん?どうかしましたか?
ぼんやりされているようですが…」
朝食室、向かい側に座る夫の高遠千智がノンフレームの眼鏡越しに優しく尋ねる。
「…あ…いいえ。何でもありませんわ」
徳子は慌てて口元に笑みを浮かべ、薄いトーストにアプリコットジャムをふんだんに塗りつける。
…今、考えてはだめだわ…。
脳裏に浮かぶ若く美しい青年の面影を振り払い、尋ねる。
「千智様、今週のご予定は?
週末のネイピア伯爵の夜会にはご一緒できますか?」
…一緒に行けたらいいと思う。
ネイピア伯爵は人の良い紳士だが、伯爵夫人は東洋人に辛辣なのだ。
ちくちくと嫌味を散りばめた会話をサロンで繰り広げられるのが、まだ新参者の徳子には苦痛だった。

千智は済まなそうに眉を寄せた。
「今日からネス湖にグラント教授と出張です。
…帰りは…すみません。決まったら、電報を打ちますね」
「…そうですか…」
…がっかりしながらも、いつものことだと自分に言い聞かせる。
千智は社交界…というか社交が苦手なのだ。
しかも植物学の仕事の虫ときている。
夫と一緒に夜会やお茶会に出かけられたことなど、結婚してから数えるほどしかない。

「…すみません…。
いつも徳子さんをおひとりにしてしまって…。
でも、徳子さんは英語もフランス語も堪能だし、僕と違って明るく社交的ですから、心配ないですよね。
…口下手で不器用な僕がいても場が白けるだけですし…」
もじもじする夫に、徳子は心の中でため息をつく。
…別に私だって心配ないわけじゃないのに…。

…でも…
そんなこと、言うだけ無駄だわ。
このひとを、困らせるだけ…。

徳子はにっこり笑った。
「はい。大丈夫です。お任せ下さい。
ひとりで行ってまいりますわ」

千智は眩しそうに徳子の笑顔を見つめ、呟いた。

「…やっぱり徳子さんはすごいなあ…。
…僕には…もったいない方だ…」

…少しも称賛に聞こえない…。

徳子は再び、そっとため息をついた。





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