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異邦人の庭 〜secret garden〜
第15章 カーネーション・リリー・リリー・ローズ

「…タオルはここに置いておくよ。
ゆっくり温まりなさい」
浴室の磨り硝子の向こう側から、優しい声が掛かった。
硝子越しに自分の身体が透けて見えるのではないかと、紗耶は不意に羞恥に襲われ、温かな湯船の中で白く華奢な肩を縮めた。
「…はい。先生…」
人影が去り、紗耶はほっと息を吐く。
ミルク色の湯気で満たされた浴室内を見渡す。
…古いけれど清潔な、いかにも日本古来の檜風呂だった。
檜の仄かな木の香りが、緊張気味の紗耶の心を僅かだけ落ち着かせた。
少し開け放たれた窓からは、冬の美しい大三角形の星が見えた。
「…綺麗…」
呟きながら、我に帰る。
…今頃、お父様やお母様はどうされているかしら…。
紗耶が婚約式を抜け出し、藤木の元に走ったことはとうに二人の耳に入っているはずだ。
まさか晴れの日に、娘がそんなスキャンダラスなことをするなど、思っても見なかったことだろう。
母は身重の体だ。
体調を崩してはいないだろうか。
父は…。
分家筋の父に、徳子から厳しい制裁が下ることは大いにあり得ることだ。
紗耶の胸はずきりと痛み、取り返しのつかないことをしてしまった重大さに今更ながらに恐れ慄く。
…千晴お兄ちゃまは…。
追手が来ずに、未だに何も言ってこないということは、恐らくは藤木と千晴との間でなんらかの話が交わされたのだろう。
けれどそれが、円満解決を意味している筈はなかった。
それくらいのことは、世間知らずな紗耶でも分かることだ。
…千晴お兄ちゃま…。
胸に浮かぶのは、紗耶が千晴を拒んだときの信じられないような驚愕の表情と、酷く傷ついたような哀しげな眼差しだ。
千晴は初恋のひとだ。
嫌いになったわけではない。
今でも好きだ。
…ただ…。
紗耶は湯船の中で膝を抱える。
千晴に対して、藤木を想うような熱い情動が湧き起こらなくなっただけなのだ。
…だから、結婚は出来ない。
もう、千晴の傍にはいられない。
藤木を、愛してしまったからだ。
…「…ごめんなさい…千晴お兄ちゃま…」
呟くと、透明な湯の水面に、涙の雫が波紋を作った。
「…ごめんなさい…ごめんなさい…」
泣いている気配を藤木に気づかれてはならない。
すべては紗耶がしでかしたことだからだ。
紗耶は声を押し殺して啜り哭く。
そうして、脳裏の千晴の哀しげな面影を消し去るように、湯船に潜った…。
ゆっくり温まりなさい」
浴室の磨り硝子の向こう側から、優しい声が掛かった。
硝子越しに自分の身体が透けて見えるのではないかと、紗耶は不意に羞恥に襲われ、温かな湯船の中で白く華奢な肩を縮めた。
「…はい。先生…」
人影が去り、紗耶はほっと息を吐く。
ミルク色の湯気で満たされた浴室内を見渡す。
…古いけれど清潔な、いかにも日本古来の檜風呂だった。
檜の仄かな木の香りが、緊張気味の紗耶の心を僅かだけ落ち着かせた。
少し開け放たれた窓からは、冬の美しい大三角形の星が見えた。
「…綺麗…」
呟きながら、我に帰る。
…今頃、お父様やお母様はどうされているかしら…。
紗耶が婚約式を抜け出し、藤木の元に走ったことはとうに二人の耳に入っているはずだ。
まさか晴れの日に、娘がそんなスキャンダラスなことをするなど、思っても見なかったことだろう。
母は身重の体だ。
体調を崩してはいないだろうか。
父は…。
分家筋の父に、徳子から厳しい制裁が下ることは大いにあり得ることだ。
紗耶の胸はずきりと痛み、取り返しのつかないことをしてしまった重大さに今更ながらに恐れ慄く。
…千晴お兄ちゃまは…。
追手が来ずに、未だに何も言ってこないということは、恐らくは藤木と千晴との間でなんらかの話が交わされたのだろう。
けれどそれが、円満解決を意味している筈はなかった。
それくらいのことは、世間知らずな紗耶でも分かることだ。
…千晴お兄ちゃま…。
胸に浮かぶのは、紗耶が千晴を拒んだときの信じられないような驚愕の表情と、酷く傷ついたような哀しげな眼差しだ。
千晴は初恋のひとだ。
嫌いになったわけではない。
今でも好きだ。
…ただ…。
紗耶は湯船の中で膝を抱える。
千晴に対して、藤木を想うような熱い情動が湧き起こらなくなっただけなのだ。
…だから、結婚は出来ない。
もう、千晴の傍にはいられない。
藤木を、愛してしまったからだ。
…「…ごめんなさい…千晴お兄ちゃま…」
呟くと、透明な湯の水面に、涙の雫が波紋を作った。
「…ごめんなさい…ごめんなさい…」
泣いている気配を藤木に気づかれてはならない。
すべては紗耶がしでかしたことだからだ。
紗耶は声を押し殺して啜り哭く。
そうして、脳裏の千晴の哀しげな面影を消し去るように、湯船に潜った…。

