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マスタード
第9章 愛ふたたび・・
そんなふうに、奏は普段は中学校の教師で吹奏楽部の顧問、休日は隠れオタの『モルツ』という生活を楽しんでいた。

『モルツ』でいる時の方がリアルに感じるし、何より失恋の辛さや悪妻との家庭不和・・色々な重荷から解放される。

あの時にグルビーズに出会わなければ推し事の世界など全く知らないし興味もなかったことを思えば正に運命の出会いでもあった。

『モルツ』というもうひとりの自分が誕生したことで苦しみや悲しみの世界から解放されることができたのだ。

その反面でやっぱり愛美や陽葵のことを忘れられずに苦しみや悲しみの世界から抜け出せない奏もいた。
毎日のようにひまわりの歌を聴いては愛美や陽葵を想って酒を飲んだり、推しさんのチェキや写真を見て幸せに浸っても、その幸せから抜け出すように結局はケイタイに納めた愛美や陽葵の写真を見てしまう。
どんなチェキや写真も愛美や陽葵との思い出が詰まった写真には及ばない。

抜け出せないのではなく、抜け出したくない、愛美や陽葵を忘れたくないのが本音なのかも知れない。

ウイルスの世界さえ来なければこんなことにはならなかった。ウイルスの世界のおかげで愛美も陽葵もこんな男から解放されて幸せになったんだと感謝する気持ちと裏腹に恨めしく思う気持ちもやっぱり消し去ることはできないでいた。

ちゃんと結婚もできない、不倫と言われるようなことは終わらせなければならないと分かってはいたが、自ら終わらせることはできなかった。ウイルスの世界がそれを終わらせてくれたとも思うのだが、受け入れられずにいる奏もいる。

行動記録を誤魔化したりするのは、『モルツ』としての自分を守るためや間違った社会への反骨もあるが、ウイルスの世界への怒りや恨みをぶつけているようでもあった。

オタクたちの間では美味しいものを食べる時に、料理の近くに推しさんのチェキを立てて写真を撮る『推しさんといただきます』というのが流行っていた。
推しさんとのバーチャルなお食事デート気分を味わっているのだ。

奏もひとりでふらっと飲みに行ったりする時にはたまに『推しさんといただきます』をやってみたりもする。隠れオタは行動を慎重にしなければならないので、それをやるのは知人が絶対に来ることのない自分だけの隠れ家のような店か個室式の店限定ではあるが・・。
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