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理想というまやかし
第1章 孤独の女神
風呂掃除のために食卓を離れた母親の目を盗んで、例のごとく彼女が連れ込んできた男が初めて真麻の乳房にちょっかいをかけてきたのは、十四歳の秋だった。
男の顔も名前も忘れた。
ゼロの三つ並んだ紙幣を五枚と、嫉妬に駆られた女の激情は娘であっても容赦がないという男の言い分に説き伏せられて、声も出せなかったのだけは覚えている。
三十八歳になった母親が、いつまでも少女のような初々しい目をして慕った男の顔と名前は、覚えている。
単なる同姓同名でも、未だに同じ名前を聞くとおぞましいものが全身を駆け巡っていく悪寒を覚えるその男は、やはり母親が団欒の席を離れた隙に、十九の娘にキスを迫った。
他人とのキスは三度目だった。大学を卒業したら今度こそ家を出て行ってやる、あと三年の辛抱だ。そう自分を励まして、胸を逆流してくる吐き気に目を瞑っていると、ストッキングを器用に破った男の指が脚の割れ目をまさぐっていた。
実家はとりわけ裕福で、母親に怒鳴られたこともない。
しかし真麻は、思春期から大学を出る最終日まで、母親に怯えて日々を過ごした。厳密には、母親の連れてくる恋人達に怯えていた。
顔も肉体も魅力的な女は怖い。見かけに反してその内側では、獰猛な獣も平伏す鋭い爪を研いでいる。
うんと警戒していたのに、真麻が新たな家族として選んだのは、顔も肉体も芸術的で、声まで洗練された女だ。
菅原愛乃(すがわらあいの)。
長く濃い天然のまつ毛が縁どる目は甘やかな人となりを映していて、母親と同じ真珠色に艶めく肌に、扇情的な血色を帯びた頬。髪はミルクティーベージュに染めて形状記憶のウェーブまで入っているのに枝毛一つなく、いつでも指がすんなり通る。狭すぎず広すぎない肩幅からは、ほっそりした腕が伸びていて、ファッションドールのように女性的なまるみを帯びていながら華奢な身体は、重たげに見えるほどたわわな乳房を実らせている。