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理想というまやかし
第2章 憂いの皇子
フロアから微かにこぼれてくる暢気な有線放送が、まるで別世界で流れている音楽に聞こえる。真麻が動く度、後方で秘めやかな物音が立つ。
男の傲慢の餌食になった過去さえなければ、拒絶されてもりとが真麻を手当てしていた。どうせ誰でも構わなかったなら、今からでも自分を選べ、そう言ってきっと彼女が頷くまで強気に出ていた。
真麻の声に振り向くと、涼しげな顔で彼女がエプロンのウエストリボンを結んでいた。鏡を覗いて、髪が落ちるのを防ぐ効果はないだろうメイドカチューシャも整えている。
「ねぇ、りと。責任とって」
「え?」
「私がああいうことされると、昔のこと思い出すの」
「…………」
「愛乃以外の人に触れられるの、ダメなの。りとは友達だから大丈夫だって、確かめさせて」
「ごめん。心配だっただけだから」
「キス、……してくれない?」
聞き違いか、と、自分の耳を疑った。りとか真麻、二人の内どちらかが、おかしくなった。
何とか言ってと声にならないぼやきを持て余していると、真麻がもう一度同じ言葉を復唱した。
さっきより控えめに真麻の腕を引いて、くりりとした目に影を落とす彼女のまつ毛の奥を見澄ます。どれだけ見つめても、りとの欲しい答えはない。うなじに流れる茶色く長い髪に指を滑らせて、後頭部から包み込むようにして唇に触れた。
「…………」
幻に触れでもしたみたいに柔らかい。
掴みどころのない真麻は、本当に幻か。触れ合うだけの幼いキスは、もちろん友人同士ではあり得ないが、劣情を含んだ好意を絡めた行為でもない。ただ、この瞬間が幻に消えてしまうのが惜しくて、今度は唇の端を吸った。小さく声をこぼした真麻が、りとにも同じことをした。