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理想というまやかし
第3章 嘆きの娼婦
二十代半ばの上司達は、ヒロインに憧れる子供の絵空事に目を細めるだけの保育士達と違って、以後、愛乃達を支援した。
コピー取りだけではつまらないだろうと言って簡単なパソコン入力なども教えてくれた彼らは、愛乃達が目標への一歩を踏み出すための協力の対価を一切求めてこなかった。さしあたり歳の近い友人を応援する態度でいてくれた彼らのお陰で、その夏、愛乃は初めてライブハウスのステージに立った。
一年前は、こんな場所に立つなんて、夢にも思っていなかった。
社会に出て、周りが大人達ばかりになっても、愛乃に向けられるのは蔑みや憎しみの視線だけ。きっと大人達の世界にも一人が爪弾きになる文化があって、自分はその標的になるのだと、あの頃の愛乃はそれを当然として生きていた。逃げたいとか死にたいとかの感情もなかった。
だから肌がスポットライトの熱を受ける華やかな場所に足をとめた時、生まれ変わった気さえした。隣には、大好きな三芳がいる。オリジナル曲を頼める伝手もなく、酒を片手にざわつく観客達は皆、愛乃達の前後に出ている演者の常連だと分かっていても、ここには幾らか可能性がある。
歌の基礎など全くない。少しネットで調べたくらいで、あとは三芳と、夜ひとけのなくなった地下の広場で歌っていただけだ。
それでも、体の奥を這い出たがる想いは嘘をつかない。イントロが流れ出すや、愛乃は何かに憑かれていた。生まれる前から身体が覚えていたように、言葉を音色に乗せていた。愛乃のメゾに、透き通るような三芳のアルトが甘く寄り添う。その声にとろけそうになる心地に安心しきって、愛乃は彼女と何度も打ち合わせした振りを付けて、一字一句、誠実な思いで客席に届ける。