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理想というまやかし
第3章 嘆きの娼婦
ある日、三芳がかつての上司の一人を呼んだ。
愛乃にしてみればまるでいじめを黙認する子供同然だった三十路近くの男を、愛想笑いで出迎えるのもはらわたが煮えくり返る思いがした。今更、何の用があるのか。
お茶を用意している間も、当たり障りのない世間話を始めても、三芳は何か言いにくそうにしていたし、元上司も朗らかに笑っていながら、愛乃に対して腫れ物に触れる具合に接していた。
「愛乃ちゃん。……三芳ちゃんと、結婚させてくれないかな」
愛乃は、男が何を言おうとしているのか理解するのにしばらくかかった。
三芳の気持ちは確かめたのか、お前は親身な先輩ヅラをぶら下げて、彼女をそんな目で見ていたのか。
胸を渦巻く混濁した泥のような感情から、あらゆる疑問が濾過されていく。その疑問が不要なのだと分かったのは、三芳も上司と同じ顔つきで、愛乃を見つめていたからだ。
家族になろうと言ったくせに。愛乃しかいらないって言ったくせに。
しかし結婚の約束はしなかった。
喪失の奈落に落ちた愛乃の耳に、彼らの弁明が遠くから注ぎ込まれてくる。目の前は深い闇がかかっているのに、聞きたくない言葉だけが、とめどなく心臓を懲らしめてくる。