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いろはにほへと~色は匂えど~
第1章 浪人 策ノ進
蓄えてあった金子(きんす=金銭)を懐に入れ、
流浪(さすら)ってはみたものの、
旅籠(はたご=旅館)暮らしは思いのほか金がかかり、
懐の金はあっという間に底をついた。
武士は食わねど高楊枝…
そんな悠長な事を言ってる場合ではなかった。
この数日間、湧き水しか口にしていなかったので
気を抜くとめまいがして倒れてしまいそうだった。
そして、ある集落にたどり着いた。
策ノ進は集落の庄屋(しょうや)の屋敷を訪ね、
働き口がないものかお願いしてみることにした。
「策ノ進さまと名乗られましたかの?」
庄屋は、あまり快く
策ノ進を迎え入れようとはしなかった。
「さよう、拙者、是永策ノ進(これなが さくのしん)と申す」
策ノ進は無礼のないように深々と頭を下げた。
「仕事にありつきたいと?
長旅で薄汚れておるが、
あなた様のような立派な武士に畑仕事など…」
庄屋は農民として生計を立てたいと言う策ノ進に
甘い考えを捨てさせようと思った。
「拙者、脱藩した身ゆえ、
どのような仕事でも
喜んで奉仕させていただきたく…」
口上を述べる策ノ進の言葉を
茶を持ってきた庄屋の娘、お吉が口を挟む。
「武士をやめたんやったら
そんな話し方から改めたらどうやのん?」
ハッとなって策ノ進は娘に目をやった。
年の頃は15、6といったところだろうか、
目上の者に意見するとは
鼻っ柱が強いおなごと見受けられた。
藩士としての自覚があった頃なら
『無礼者!』と叱責し、
この場で首を刎ねていたかもしれぬ。
だが、脱藩し、
侍の心を捨てた今は「これは手厳しい」と言って
笑うしかなかった。
「まあよい…菩薩堂の横に数坪の荒れ地がある…
そこでよければ耕して
畑にするがよろしいでしょう」
やれるものならやってみろと
庄屋は突き放すようにそう言った。