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それが運命の恋ならば
第1章 出逢い
『…え…?
あ、庵主様…。
い、今なんと?』
厨で洗い物をしている凪子に告げられた庵主の言葉を、凪子はしばらく理解できないでいた。
危うく手にした茶碗を取り落としそうになったほどだ。
『…だから、あんたは今日いらした一之瀬李人様に見染められたんや。
あんたをどうしてもお嫁様に欲しいんやて。
だから支度しい。
…というても、なんも持たんでええやろ。
一之瀬様はびっくりするくらいの大金持ちさんらしい。
せやから、三日後にはここを出るんやで』
まるで、その辺に使いを出すような大雑把な命令だった。
『…そんな…急に…』
…先ほど会った男の面影が胸に浮かぶ。
思わず息が止まるほど端正で、近寄り難いような気高さと自信に満ちた男だった。
そんな男が、自分を見染めるなどということがあるのだろうか。
僅か一言くらいしか言葉を交わしていない。
あんなに短い時間で、自分との結婚を決めるなど…。
とても現実的な話とは思えなかった。
いくら世間知らずな自分でも、それくらいのことは判る。
…それに…まるで犬や猫の処遇を決めるかのような庵主の言い方にも納得は出来なかった。
凪子は物心つく前からこの尼寺で育ってきた。
寺の桜の木の根元におくるみに包まれて捨てられていたという自分を育ててくれたのは、この庵主だ。
優しくされたことなど一度もないが、衣食住に不自由したことはない。
檀家の手前か、常に身綺麗な格好はさせてもらった。
学校は義務教育のみだったが、寺の仕事や、精進料理、庵主の助手として茶の湯の接待の手伝いなど、正に門前の小僧として礼儀作法や様々な教養は身に付かせてもらった。
庵主に懐いていたわけではないが、それでも二十年も一緒にいて、いきなり放り出すようなやり方が、凪子にはあまりに寂しく感じられたのだ。
そんな凪子の心情を察してか、庵主はややバツが悪そうに眼差しを逸し、呟いた。
『…あんたはなあ、ほんまはこんなとこにずっといる人間やない。
一之瀬様のとこに行き。
ここにいるよりは幸せになれるやろ』
『…庵主様…?
それは…どういう意味ですか…?』
美しい眉を寄せる凪子に、庵主はぴしゃりと言い放った。
『あんたももう二十歳や。
孤児院かて社会に出なあかん年頃や。
せやから、さっさと出て行っておくれやす』
そうして、墨染めの衣を翻すと凪子に冷たく背を向け、去って行ったのだ。
あ、庵主様…。
い、今なんと?』
厨で洗い物をしている凪子に告げられた庵主の言葉を、凪子はしばらく理解できないでいた。
危うく手にした茶碗を取り落としそうになったほどだ。
『…だから、あんたは今日いらした一之瀬李人様に見染められたんや。
あんたをどうしてもお嫁様に欲しいんやて。
だから支度しい。
…というても、なんも持たんでええやろ。
一之瀬様はびっくりするくらいの大金持ちさんらしい。
せやから、三日後にはここを出るんやで』
まるで、その辺に使いを出すような大雑把な命令だった。
『…そんな…急に…』
…先ほど会った男の面影が胸に浮かぶ。
思わず息が止まるほど端正で、近寄り難いような気高さと自信に満ちた男だった。
そんな男が、自分を見染めるなどということがあるのだろうか。
僅か一言くらいしか言葉を交わしていない。
あんなに短い時間で、自分との結婚を決めるなど…。
とても現実的な話とは思えなかった。
いくら世間知らずな自分でも、それくらいのことは判る。
…それに…まるで犬や猫の処遇を決めるかのような庵主の言い方にも納得は出来なかった。
凪子は物心つく前からこの尼寺で育ってきた。
寺の桜の木の根元におくるみに包まれて捨てられていたという自分を育ててくれたのは、この庵主だ。
優しくされたことなど一度もないが、衣食住に不自由したことはない。
檀家の手前か、常に身綺麗な格好はさせてもらった。
学校は義務教育のみだったが、寺の仕事や、精進料理、庵主の助手として茶の湯の接待の手伝いなど、正に門前の小僧として礼儀作法や様々な教養は身に付かせてもらった。
庵主に懐いていたわけではないが、それでも二十年も一緒にいて、いきなり放り出すようなやり方が、凪子にはあまりに寂しく感じられたのだ。
そんな凪子の心情を察してか、庵主はややバツが悪そうに眼差しを逸し、呟いた。
『…あんたはなあ、ほんまはこんなとこにずっといる人間やない。
一之瀬様のとこに行き。
ここにいるよりは幸せになれるやろ』
『…庵主様…?
それは…どういう意味ですか…?』
美しい眉を寄せる凪子に、庵主はぴしゃりと言い放った。
『あんたももう二十歳や。
孤児院かて社会に出なあかん年頃や。
せやから、さっさと出て行っておくれやす』
そうして、墨染めの衣を翻すと凪子に冷たく背を向け、去って行ったのだ。