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爛れる月面
第5章 つきやあらぬ

「ところで」
ボックス席の対面に座った紗友美が、「クミちゃん」
と紅美子の方を見た。
「……なに?」
「生で『クミちゃん』なんて可愛らしく呼ばれてるところを拝見でき、この光本紗友美、まことに光栄です」
徹に対する自己紹介代わりのつもりなのか、慇懃無礼に宣われる。紅美子はバッグからシガレットケースを取り出したかったが、もちろん店内全面禁煙、仕方なく水を飲み、
「そんなの、あえて言っていただく必要ありません」
と澄まして言うと、紗友美は口元を両手で抑えてニヤけた。
「いつからそう呼んでるんですか?」
その顔つきのまま、徹のほうへと戻る。
「ええと……」
徹が、余計なこと言うなオーラを発している紅美子をチラリと見てから、「子供の時に出会って、たくさん話すようになったら、いつの間にか」
「付き合ってからもですか?」
「一度、クミちゃんはやめて、って言われたんですけど、呼び慣れちゃってるんでなかなか。……あ、でも」
でも?
逆接の接続詞に驚愕する。
徹は、セックスをするときだけは、名を呼び捨てにしてくれるようになった。特に終焉を迎える直前、耳元でたくさん囁いてくる。彼の一部を体に埋められて名前を呼ばれると、気が急くほどの愉楽が広がり、一層彼が愛しく思えた。普段とのギャップがたまらない? はい、その通りです。
だが、それを? 今、ここで?
「マ、ママが、クミ、って呼ぶから感染っちゃったんだよね?」
紅美子は徹が口を開く前に割り込んだ。
「なるほど。……で、『あ、でも』、何ですか?」
「別に、何でもないよね?」
徹を見つめ、ただ頷け、と念を送ったが、
「結婚したら、呼び方を変えようかなって思ってるんだ。最初は不自然かもしれないけど、この先、夫婦で色々な場で、色々な人に会うだろうし」
徹は紗友美ではなく、紅美子の方を向いて真面目な面持ちで言った。
「……。そうね。そうしたら?」
杞憂に終わって胸を撫で下ろすと、
ボックス席の対面に座った紗友美が、「クミちゃん」
と紅美子の方を見た。
「……なに?」
「生で『クミちゃん』なんて可愛らしく呼ばれてるところを拝見でき、この光本紗友美、まことに光栄です」
徹に対する自己紹介代わりのつもりなのか、慇懃無礼に宣われる。紅美子はバッグからシガレットケースを取り出したかったが、もちろん店内全面禁煙、仕方なく水を飲み、
「そんなの、あえて言っていただく必要ありません」
と澄まして言うと、紗友美は口元を両手で抑えてニヤけた。
「いつからそう呼んでるんですか?」
その顔つきのまま、徹のほうへと戻る。
「ええと……」
徹が、余計なこと言うなオーラを発している紅美子をチラリと見てから、「子供の時に出会って、たくさん話すようになったら、いつの間にか」
「付き合ってからもですか?」
「一度、クミちゃんはやめて、って言われたんですけど、呼び慣れちゃってるんでなかなか。……あ、でも」
でも?
逆接の接続詞に驚愕する。
徹は、セックスをするときだけは、名を呼び捨てにしてくれるようになった。特に終焉を迎える直前、耳元でたくさん囁いてくる。彼の一部を体に埋められて名前を呼ばれると、気が急くほどの愉楽が広がり、一層彼が愛しく思えた。普段とのギャップがたまらない? はい、その通りです。
だが、それを? 今、ここで?
「マ、ママが、クミ、って呼ぶから感染っちゃったんだよね?」
紅美子は徹が口を開く前に割り込んだ。
「なるほど。……で、『あ、でも』、何ですか?」
「別に、何でもないよね?」
徹を見つめ、ただ頷け、と念を送ったが、
「結婚したら、呼び方を変えようかなって思ってるんだ。最初は不自然かもしれないけど、この先、夫婦で色々な場で、色々な人に会うだろうし」
徹は紗友美ではなく、紅美子の方を向いて真面目な面持ちで言った。
「……。そうね。そうしたら?」
杞憂に終わって胸を撫で下ろすと、

