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爛れる月面
第5章 つきやあらぬ
「あれは浮気じゃないだろ」
「だから意味わかんねーし。あれを浮気じゃないっつったら、世の中の男、やりたい放題じゃん」
「落ち着いて考えろ。浮気だったら、君に会いたいなんて言わない。君を遠ざけようとする」
「ね、なんでそんな必死?」
「……」

 井上はすぐに窓を閉めると、ジャケットから携帯を取り出した。前方を見ながらも、ときどき画面に目を落として操作をする。

「そんなことしてたら捕まるよ?」

 紅美子が言っても、井上は片手運転で携帯を耳に当てた。英語だ。抑揚なく、淡々と話している。

 紅美子はコートを割って片膝を折り、踵をシートへ上げた。組んだ手で膝頭を包む。フロントガラスには、同じ方角へ向かうテールランプが並んでいた。赤い光は時おり瞬き、黒い夜の一点へ吸い込まれるように続いている。この人たちは、この時間から東京を離れてどこへ行くんだろう。自分と同じ理由で、北へ向かって走っている人はいるのだろうか。不毛な物思いとともに、BGMのように聴こえてくる井上の低い声を聴いていた。

 電話が終わる。

「……仕事、忙しいんだね。何言ってたかさっぱりわかんないけど」
「まあな。もう一本かける」
「ほんと、捕まんないでね」
「これなら捕まらない」

 井上は再び画面を操作すると、今度はコンソールの前に取り付けてあったホルダーにこれを置いた。ハンズフリーのアイコンが押されており、紅美子にも呼び出し音が聴こえてくる。

「……もしもし?」

 女の声が聞こえてくるや、驚いた紅美子は前景から携帯の画面へと視線を移した。

「僕だ」
「あら、あなたから電話するなんて珍しいわね。私からのプレゼントのお礼かしら?」
「あんまり嬉しいものじゃなかったね」
「何よ。ちゃーんと、あの若くてキレイなカノジョと観てくれた?」
「……」

 井上は、しばし黙った。
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