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爛れる月面
第5章 つきやあらぬ
 だからといって、忍苦を受け入れられるほど、物分かり良くなれなかった。それができるくらいなら、こんなところで号泣していないし、そもそも、こんな目には遭っていない。

「……簡単なことだ。許してやればいい」

 束の間、泣き喚くがままにさせていた井上が諭しても、

「む、むりっ、だよ。……そんなのっ、むっ、むりだ、もんっ」

 噦噎に邪魔をされつつ、強くかぶりを振って否む。

「いや、許すんだ」

 しかし今度はより低く、よく通る声で、そして敢然と言われた。「君はもう大人だろう」、そんな叱責が練り込まれているように思えた。

 他の誰に言われても、到底納得はできそうにないのに、

「っ……、許して……なん、か、いいことでも、あん、の……?」

 と、紅美子は詰まりながらも、素直に尋ねた。

「そうすれば、君も君を許すことができる」

 低く、沁み入ってくる声だった。こんな声を、誰からも聞いたことがなかった。慟哭は続いている。しかしその源は、次第に別のところへと移っていった。もはや抑えがたい哀惜によるものとは言えない、子供の頃に憶えのある、親を前にして自覚的に泣き続ける悲声となり、荒れ狂っていた横隔膜は宥められ、呼吸も落ち着いていく。

「ライター、貸してくれ」

 頃合い見計らったかのように、懐からピースを取り出して一本咥えた井上が、片手を差し出してきた。紅美子は甲で小鼻の脇を拭い、丸出しにしていた両脚をシートから下ろした。身を乗り出して井上の口からタバコを抜き取って、自分で咥えて火をつける。普段吸っているよりも格段に強い味に盛大に咽せてから、井上の唇へと戻した。

「……よくこんなの吸ってるね」
「いや、さすがに久々すぎて、肺が破れそうだ」

 運転席を見る。
 やめていたタバコを、また吸っている。あえて、自らを痛めつけている。
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