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爛れる月面
第5章 つきやあらぬ

「ねえっ!」
流される髪を抑え、閉まった窓の向こうへ呼びかけた。「せっかく、愛人やってたんだからさ、一回くらい、『パパ』って呼んであげたらよかったね!」
しかし井上は、耳に手を当てて「聞こえない」というジェスチャーをした。微笑んだ紅美子は、軽く手を振った。ハザードが消え、アウディが走りだす。つづら折りの尾根沿いの道を、テールランプが左右に動きながら小さくなっていき、やがて、見えなくなった。
踵を返した紅美子は、速足で細道を登っていった。真っ暗なら危なかったが、見上げる先の建物の二階の窓が薄く地面を照らしてくれていた。自転車の前に来ると、携帯を取り出して彼にかける。絶えず電話の前で鳴るのを待っていたのかと思えるほど、鉄階段を昇っている途中で繋がった。
「……クミちゃんっ!?」
「徹、開けて」
「えっ?」
ドアの前まで来ると、拳で思い切り叩いた。電話の向こうから、「えっ? えっ?」と慌てる声がする。
「ねー、いま、なに隠してんのー」
横柄な口調で更に早く叩いていると、ドアが開いた。驚愕している恋人を押しのけ、中へと踏み込む。
「ど、どうしたの?」
「抜き打ち検査」
紅美子は乱雑にブーツを脱ぎ、大股に進むと、髪を振ってきょろきょろと目線を巡らせ、身を屈めてベッドの下を覗いたり、カウチソファに置かれたクッションを除けたりしてから、
「……こんな一瞬で、エロDVDって隠せるもんなのか……」
と呟いた。机の上にはノートパソコンと書籍が開かれており、仕事をしていたのは明らかだった。ドアを閉めて戻ってきた徹が、途中に拋たれていたバッグを拾い上げる。突然の事態に、何を話していいかわからないらしい。紅美子はコートを脱いで背凭れにかけると、カウチソファに座って脚を組んだ。
流される髪を抑え、閉まった窓の向こうへ呼びかけた。「せっかく、愛人やってたんだからさ、一回くらい、『パパ』って呼んであげたらよかったね!」
しかし井上は、耳に手を当てて「聞こえない」というジェスチャーをした。微笑んだ紅美子は、軽く手を振った。ハザードが消え、アウディが走りだす。つづら折りの尾根沿いの道を、テールランプが左右に動きながら小さくなっていき、やがて、見えなくなった。
踵を返した紅美子は、速足で細道を登っていった。真っ暗なら危なかったが、見上げる先の建物の二階の窓が薄く地面を照らしてくれていた。自転車の前に来ると、携帯を取り出して彼にかける。絶えず電話の前で鳴るのを待っていたのかと思えるほど、鉄階段を昇っている途中で繋がった。
「……クミちゃんっ!?」
「徹、開けて」
「えっ?」
ドアの前まで来ると、拳で思い切り叩いた。電話の向こうから、「えっ? えっ?」と慌てる声がする。
「ねー、いま、なに隠してんのー」
横柄な口調で更に早く叩いていると、ドアが開いた。驚愕している恋人を押しのけ、中へと踏み込む。
「ど、どうしたの?」
「抜き打ち検査」
紅美子は乱雑にブーツを脱ぎ、大股に進むと、髪を振ってきょろきょろと目線を巡らせ、身を屈めてベッドの下を覗いたり、カウチソファに置かれたクッションを除けたりしてから、
「……こんな一瞬で、エロDVDって隠せるもんなのか……」
と呟いた。机の上にはノートパソコンと書籍が開かれており、仕事をしていたのは明らかだった。ドアを閉めて戻ってきた徹が、途中に拋たれていたバッグを拾い上げる。突然の事態に、何を話していいかわからないらしい。紅美子はコートを脱いで背凭れにかけると、カウチソファに座って脚を組んだ。

