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爛れる月面
第5章 つきやあらぬ
「なに? 何か言いたいことあんならどうぞ」
「えっと、……なんで……?」
「婚約者の家に来ちゃいけない?」
「ううん、いけなくはないよ」
「座って」

 隣の座面を叩く。徹が隣に座ると、紅美子は逆側へ斜向き、

「私ね、決めたんだ」
「決めたって……何を?」
「今日から私、ここに住むことにした」
「えっ……、で、でも、クミちゃん、仕事は……?」
「心配ない。ママのお店の常連さんだもん。気のいいおっちゃんだから許してくれる。ママも、ここに住むってなったら喜んで説得してくれるし、着替えとかの荷物もすぐに送ってくれる」
「そうだろう、けど……」
「何? なんかマズいことでもあんの? 大丈夫、明日徹が仕事に行ってる間に部屋ん中ひっくり返して、エロDVDもエロ本もぜーんぶ捨ててあげる。エロサイトもあるよね。知ってる。だからパソコンの中も全部見る。携帯も明日は置いてって」
「そんなの、何ひとつないよ」
「じゃ、いいじゃん」

 背を向けたまま、後ろに向かって早口に言うと、しばらくして……ふっ、と笑む息が聞こえた。

「ほんとに……、ワガママだなぁ……」
「んだよ。私の言うことは何でも『いいよ』って言うんでしょ?」
「うん」
「DVD捨てるっていうのはウソ。別に観てもいい。ただし、絶対に私にバレない所で観てください」
「だから持ってないし、観ないよ」
「私に手出さないのに観てたら、またブチギレる」
「だから、観ないって」
「これから先も、私が何を言っても『いいよ』って言って」
「いいよ」
「一緒にいて。もう、もた……ない」

 懸命に勢いをつけていたが、結局、言い切る前に涙声になってしまった。

「……いいよ」

 後ろから徹の腕が伸びてきて、右手を握った。指輪の光る左手を重ねる。他の女に触れた手だった。映像が甦りそうになる。しかし悍ましさで、振り払ってしまうことはなかった。
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