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爛れる月面
第1章 違う空を見ている
「……出たら?」
「でも」
「私のせいで電話に出なくて、徹の仕事がうまくいかなかったら、私がイヤな気持ちになる」
「うん……」
 目に見えてしぶしぶ、徹は膝の裏から腕を抜くと、身を伸ばして携帯を取り上げた。「お母さんだ」
「出なよ、なおさら」

 もう一方の腕は紅美子の背と背凭れに挟まれているから、徹に代わり、タバコを持った手で応答バーをスワイプしてやると、

「もしもし! オバちゃんよ、オバちゃん!」

 いきなり、スピーカーフォンにしていないのにもかかわらずの大声が届いた。予測していなかった声の主に、操作した手でそのまま煙を吸いにいったところだった紅美子は盛大に咽せさせられた。

「あ、こんばんは、ご無沙汰してます」
「んーもおっ、徹ちゃん、元気にしてるのっ」
「はい、元気です。クミちゃんのお母さんもお元気ですか?」
「聞いての通り、めちゃくちゃ元気よおっ! あー、そんなことはいいんだった。あのね、徹ちゃん、クミ、ちゃんと来てる?」

 徹は耳から十センチ以上携帯を離したまま、まだ咳をしている紅美子を向き、

「はい、今、隣にいますよ。代わりますか?」

 と言ったが、紅美子は眉根を寄せ、口を「いい、いい」という形にして激しく首を振った。

「あら、べつにいいのよ、代わらなくても」幸い、母のほうもその気はないらしく、「あの子のことだから急に、行くのやーめた、とか言い出しかねないと思って」
「大丈夫です。ちゃんと来てますよ」
「ならいいんだけど……もぉっ、何のお土産持たせずに恥ずかしいわぁ。フィアンセのところに行くなら行くって言えばいいのに、あったまおかしいのかしら、あの子。……うふっ、フィアンセ、ですって。徹ちゃんみたいな素晴らしい人がフィアンセ。あーもう、オバチャン、ほんっと幸せよぉ。あ、そうそう今ね、徹ちゃんのお母さんが、レンコン、わざわざ店までお裾分けに持って来てくださってるのよ。そしたらクミが徹ちゃんに会いに行ってるっておっしゃるじゃない? もー、オバチャン、そんなのぜんっぜん聞いてなくって、それでね……、あーっ!!」

 一方的に話してくる母の話をにこやかに聞いていた徹だったが、突然の音割れに目を瞠った。
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