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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第1章 出会い
「やあ、来たか。
…ああ、これはこれは…。
まるでどこぞの貴公子かのような麗しさだね」

北白川が部屋の奥の葡萄酒色の長椅子に腰掛けながら、陽気に賛辞の言葉を投げかける。
…この部屋はどうやら北白川の居間のようだ。
男は先ほどの燕尾服から、仕立ては良いがカジュアルなストライプのシャツにシェットランドセーター、そしてグレーのスラックス…といった寛いだ姿になっている。
そうすると、まるで学生のような若々しさだった。
その姿に思わず見惚れながらも…

…いちいち、大袈裟なんだよ。
狭霧は仏頂面を崩さなかった。

「怪我の手当はしたかね?」
気掛かりな眼差しで北白川は狭霧の全身を見る。

…意外に、細やかなひとなんだな…。
狭霧は肩を竦めて見せた。
「大丈夫。ただの擦り傷と軽い打身だ。
一晩寝れば治るさ」

「それは頼もしい」
朗らかに微笑むと、男は狭霧に向かい側の長椅子に掛けるように勧めた。

「さあ、温かいショコラを飲み給え」
マレーが一部の隙もない給仕で、テーブルに茶器を並べた。
…ロイヤルアルバートの茶器からは甘く香り高いカカオの湯気が漂う。
狭霧はわざと偽悪的に声を上げた。
「ショコラよりさ、酒がいいな。
子どもじゃないんだから。
ワインか…ブランデー。
スコッチでもいいよ。
…どうせ酒蔵には高い酒が唸るほどあるだろう?
何しろ名門のお貴族様だもんな」

マレーの白い眉がぴくりと動き、あからさまにむっとした表情で狭霧を見た。

北白川は少しも不愉快な貌はせず、むしろ楽しげに笑った。
「酒はもちろんあるが、君には今夜は出さないよ。
怪我をしている身体で飲んだらたちまち具合が悪くなるぞ。
…ああ、マレー。ありがとう。
もう下がって良いよ」

「…しかしながら、旦那様…。
…こちらの方は…」
…こんなチンピラを大事な主人の前に残してはゆけないとばかりに、言葉を返すマレーに
「大丈夫。心配ないよ。
用があるときにはまたベルを鳴らすから」
柔かな微笑みに、マレーは狭霧を半ば睨みながら不承不承部屋を辞したのだった。


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