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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第1章 出会い
「…さあ、いい子だからショコラを飲んで」
駄々っ子を宥めるような口調にむっとする。
「子ども扱いするなよ。俺は二十二だ」
北白川はその魅惑的な瞳を細めた。
「私から見たらまだまだ子どもだ」
「…ふん」
狭霧はカップを取り上げ、ショコラを飲む。
「…うま…」
…温かく甘く香り高いチョコレートが、疲弊した身体にじわりと染み渡る。

北白川は満足そうに微笑んだ。
「それは良かった…」
そして、長い脚を組み替え、ゆったりと切り出す。
「…飲みながらで良い。
少し話をしよう。
…なぜ君は、仕送りを止められ一文なしで夜の街を彷徨っているのかね?」

カップを持つ手が強張る。
「学校は?辞めてしまったの?」
「……」
「…今の時代、外国に…特に美術学校に留学出来るのは経済的にかなり恵まれた家の若者だ。
粗野な言葉を使ってはいるが、君は見るからに育ちが良さそうだ。
その若者が露頭に迷うのはよほどの事情がない限り…」

狭霧は乱暴に茶器をテーブルに置く。
ショコラが波打ち、ソーサーに溢れた。

「うるさいな。
あんた警察?
取り調べするつもりなら帰るよ」

立ち上がる狭霧を、北白川は穏やかに見つめた。
「…泉狭霧くん。
君は、東京で呉服屋を営む泉商店の長男だね。
パリには二年前に来た。
…友人とだ…」

狭霧は息を呑み、大きな瞳を見開いた。

「なぜ…それを…」
北白川は静かに微笑んだ。
「大使館はパリに住む邦人については領事館の役割も担う。
…1ヶ月前、君の弟さんからの問い合わせの手紙を私がたまたま受け取ったのだよ」
「…弟…」
胸の奥が、ずきりと痛んだ。

『…兄さん。忘れないで。
僕はどんなときでも、兄さんの味方だよ…。
…大好きだよ、兄さん…』
横浜港で別れた時の、弟の少女めいた繊細な貌が脳裏に浮かぶ…。
…千雪…!
口唇を切れるほどに噛み締める。

北白川が静かに…優しく促した。

「…狭霧くん。座り給え。
さあ、ショコラの続きを飲んで、落ち着いて…。
…そしてもし良かったら、私に話を聞かせてくれないか?
君の、パリでの物語を…」





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