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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第5章 従者と執事見習い〜従者の恋〜
ブーツに掛けていたブラシの手がびくりと震えた。
「…な…何を…仰るのですか?」
狭霧を見上げる白皙の貌がやや上気している。
…やっぱり…ね。
狭霧は腑に落ちた。
梨央に接する態度や眼差し、声…。
それはすべて特別なものだと、狭霧には分かっていたのだ。
それらは大変些細なもので、大抵のひとは見逃してしまうほどに微かなものだったが…。

「狭霧さん。
揶揄って良いことと悪いことがあります」
狭霧に対する初めての強い口調だった。
眼鏡の奥の端正な眼差しが、静かな怒りを孕んでいた。
こんなにも感情を露わにする月城は初めてだ。

「揶揄っていないよ。
月城くんの普段の様子を見て、そうなんだろうなあ…て思っただけ。
だって月城くん、梨央様を見つめる眼が明らかに他とは違うんだもの。
…世界で一番美しく愛おしく大切なものを見つめる眼…て感じ」
月城は息を呑み、押し黙る。
狭霧は月城の肩を優しく抱く。
「いいじゃない。好きになるだけなら。
…もちろん、梨央様はまだ七歳だ。
月城くんが梨央様を邪まな眼で見ていないのも、分かっている。
君はそんな下衆な青年じゃない。
ただ、梨央様に美しい純愛を捧げているんだよね。
それなら、このまま静かに想い続けていても良いんじゃない?て、俺は思うよ」

…想うだけなら、自由だ。
自由なはずだ。
例え相手の気持ちが、分からなくても…。
北白川伯爵の面影が胸に浮かび…やがて消える。

「…良くありませんよ」
…苦しげな小さな声だった。
「…え?」

月城の微かなため息が、聞こえた。
「…梨央様にはもう婚約者がいらっしゃいます」



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