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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第5章 従者と執事見習い〜従者の恋〜
「…あなた…日本に帰国していたの…?
パリに居たのではないの?」
山科醇子はじりじりと狭霧に詰め寄り、詰問する。
その表情には滾るような憎悪の色が滲んでいた。
「…四月に帰国いたしました。
山科子爵夫人」
「なぜここにいるの?
ここは縣男爵のお屋敷ですよ。
貴方みたいに賤しい平民が来るところではないわ」
醇子は狭霧の上質なスーツに気づいたのだろう。
従者の服はすべて主人のお下がりだ。
けれど、伯爵は着道楽な上に、狭霧に敢えて新品を着せたいのか、試着しただけのものを惜しげもなく与えるのだ。
だから、使用人にはとても見えなかったのだろう。
狭霧は少し躊躇いながらも口を開いた。
「…私は…北白川伯爵様の従者となりました…」
途端に醇子の眼が釣り上がる。
「北白川伯爵ですって?
…あの北白川伯爵?フランス公使の?」
醇子は人垣の中心にいる北白川伯爵を振り返る。
山科子爵夫人の只ならぬ雰囲気に気付いた伯爵が会話を止め、狭霧を気遣わしげに見つめる。
…ここで騒ぎを起こしたら、大変なことになる。
伯爵にどれだけ迷惑が掛かることだろう。
狭霧はこれ以上、醇子を刺激しないように伏目勝ちに頷いた。
「はい。山科子爵夫人」
途端に、狭霧の頬が鋭く叩かれた。
周囲の来客たちから驚きの声が上がる。
醇子が狭霧の胸倉を強く掴む。
「なぜなの⁈
わたくしの大切な和彦さんは貴方に殺されたのに!
なぜ貴方はのうのうと生き延び、あまつさえあの北白川伯爵の従者に⁈
なぜそのようなことが許されるの⁈
和彦さんの未来はついえたというのに!
貴方には未来があるの⁈
そんな馬鹿なこと…!
許せない…許せないわ!
この男妾!」
半狂乱となった醇子が狭霧の胸を激しく叩く。
「返して!わたくしの和彦さんを返して!
この賤しい泥棒猫!」
狭霧は無言で耐える。
…和彦を喪った苦しみや哀しみを、自分にぶつけることで少しでも軽減出来るなら、それで構わなかった。
…それだけのことを、俺はこのひとにしてしまったんだ。
「おやめください。山科子爵夫人」
凛とした美声が響き渡る。
「…あ…っ…」
夜間飛行の華麗な薫りが、ふわりと狭霧を包み込んだ。
…暴言を吐かれ、無抵抗で殴られている狭霧を庇うように、伯爵が毅然と立ちはだかっていた。
「狭霧は私の従者です。
彼を侮辱なさることは断じて許す訳にはまいりません」
パリに居たのではないの?」
山科醇子はじりじりと狭霧に詰め寄り、詰問する。
その表情には滾るような憎悪の色が滲んでいた。
「…四月に帰国いたしました。
山科子爵夫人」
「なぜここにいるの?
ここは縣男爵のお屋敷ですよ。
貴方みたいに賤しい平民が来るところではないわ」
醇子は狭霧の上質なスーツに気づいたのだろう。
従者の服はすべて主人のお下がりだ。
けれど、伯爵は着道楽な上に、狭霧に敢えて新品を着せたいのか、試着しただけのものを惜しげもなく与えるのだ。
だから、使用人にはとても見えなかったのだろう。
狭霧は少し躊躇いながらも口を開いた。
「…私は…北白川伯爵様の従者となりました…」
途端に醇子の眼が釣り上がる。
「北白川伯爵ですって?
…あの北白川伯爵?フランス公使の?」
醇子は人垣の中心にいる北白川伯爵を振り返る。
山科子爵夫人の只ならぬ雰囲気に気付いた伯爵が会話を止め、狭霧を気遣わしげに見つめる。
…ここで騒ぎを起こしたら、大変なことになる。
伯爵にどれだけ迷惑が掛かることだろう。
狭霧はこれ以上、醇子を刺激しないように伏目勝ちに頷いた。
「はい。山科子爵夫人」
途端に、狭霧の頬が鋭く叩かれた。
周囲の来客たちから驚きの声が上がる。
醇子が狭霧の胸倉を強く掴む。
「なぜなの⁈
わたくしの大切な和彦さんは貴方に殺されたのに!
なぜ貴方はのうのうと生き延び、あまつさえあの北白川伯爵の従者に⁈
なぜそのようなことが許されるの⁈
和彦さんの未来はついえたというのに!
貴方には未来があるの⁈
そんな馬鹿なこと…!
許せない…許せないわ!
この男妾!」
半狂乱となった醇子が狭霧の胸を激しく叩く。
「返して!わたくしの和彦さんを返して!
この賤しい泥棒猫!」
狭霧は無言で耐える。
…和彦を喪った苦しみや哀しみを、自分にぶつけることで少しでも軽減出来るなら、それで構わなかった。
…それだけのことを、俺はこのひとにしてしまったんだ。
「おやめください。山科子爵夫人」
凛とした美声が響き渡る。
「…あ…っ…」
夜間飛行の華麗な薫りが、ふわりと狭霧を包み込んだ。
…暴言を吐かれ、無抵抗で殴られている狭霧を庇うように、伯爵が毅然と立ちはだかっていた。
「狭霧は私の従者です。
彼を侮辱なさることは断じて許す訳にはまいりません」