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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第6章 従者と執事見習い 〜執事見習いの恋〜
「…暁様。
何を仰います」
眉を顰める月城に、暁はふと…何もかも悟りきっているような寂寥感に満ちた微笑を漏らした。

「…僕は…時々、分からなくなります…」
「何が分からないのですか?」
「…今ここにこうしていることが…とても現実とは思えないのです」

暁はしなやかに立ち上がり、サンルームの硝子窓に近づくと、白く華奢な手をそっと押し当てた。

…それはまるで、その硝子窓が現実に存在しているのか、確認しているかのようだった。

「…月城さん。
僕は去年まで、本当に惨めで酷い生活をしていました。
病気がちな母が働けなくなり、一日一食食べられたら良い方で…。
いつもお腹を空かせて…けれど小遣い程度の人足の仕事をしていました。
そのお金も母の愛人たちに毟り取られて…抵抗すれば暴力を振るわれて…。
男たちの性の捌け口にされそうになったこともありました。
…母が生きていた時は、母が必死で庇ってくれましたが…。
母が亡くなると、男たちは僕を蔭間茶屋に売ろうとヤクザを使いました」

「…そんな…」
月城の胸は激しく痛んだ。
月城も貧しい漁村の出身だ。
父親は弟妹が幼い頃に行方をくらませ、母が女の細腕で月城たちを育ててくれた。
月城も旅館の下男の仕事をしたり、烏賊釣り漁船に乗ったり、少年時代から働いてはいた。
けれど、月城の母は強くて明るいひとだった。
貧かったが、家族仲良く、力を合わせて生きてきた。

幸いなことに、給費生を探す為に視察に来ていた北白川伯爵の目に留まった。
給費生として帝大へ通えることになり、伯爵家の執事見習いとしての職も得た。
屋敷の仕事仲間たちは皆、気の良いひとばかりだ。
執事の橘は、厳しいが心優しい人物だ。
…暁のように、恐怖に満ちた辛い経験はなかったのだ。

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